ページタイトル:花輪高女跡のシダレカツラ 当サイトのシンボルマーク

画像:花輪高女跡のシダレカツラ 名称 花輪高女跡のシダレカツラ
    (はなわこうじょあとのしだれかつら)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 カツラ
樹高 15m/15m(注2)
目通り幹囲 3.5m/2.9m(注3)
推定樹齢 100年(注4)
所在地の地名 秋田県鹿角市花輪字新田町(しんでんまち)
 〃 3次メッシュコード 6040−26−13
 〃 緯度・経度 北緯40度10分55.7秒
           東経140度47分09.5秒(注5)
鹿角市指定天然記念物(1977年2月4日指定)
撮影年月日 2024年5月16日

注1)天然記念物指定名称は「シダレカツラ 2本」
注2)鹿角市公式ウェブサイトの文化財紹介ページによる
注3)地表面から1.3mの高さで実測。前者が東株(写真左側の個体)で後者が西株
注4)昭和5年(1930)に幹囲3〜4cmの稚樹が植えられたことがわかっている
注5)これは東株の位置





 国道282号沿いの道の駅「かづの」のすぐ北側の道路に2本のシダレカツラが立っている。
 かつてここには花輪高等学校の校門があった。
 花輪高校の前身は大正15年(1926)創立の花輪町立花輪実科高等女学校。上記文化財紹介ページの説明を引用すると、このシダレカツラは『昭和5年(1930)新校舎落成記念として植樹されたものである。玉内の岩泉和三郎が前記長内の木から分株して栽植し、それから得た苗木2本を女婿の正次郎が同校に寄贈した』とのこと。
 その後、花輪高等女学校は昭和23年(1948)に男女共学の花輪高等学校に生まれ変わり、昭和44年(1969)に東方高台の明堂長根(みょうどうながね)に移転(シダレカツラの近くに「花輪高等学校跡地」碑が残る)。跡地は市役所仮庁舎時代を経て、道の駅になった。
 ここにかつて女学校があったことは、今でも近隣の方々の記憶にあるのだろう。シダレカツラの近くには「女学校通り」の名が残っている。
 私のサイトでは高等女学校時代に記念樹として植えられたことから、標記のように名付けさせてもらった。
 直接には長内のシダレカツラの分身だということだが、さらにルーツを辿って行くと、このカツラも岩手県盛岡市の瀧源寺のシダレカツラに行き着くようだ。
 国内のすべてのシダレカツラは瀧源寺のカツラと同一の遺伝子を持っているということなのだろうか。
ボタン:秋田県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る