ページタイトル:笹ヶ峰キャンプ場のミズナラ 当サイトのシンボルマーク

画像:笹ヶ峰キャンプ場のミズナラ(幹と並ぶ)

画像:笹ヶ峰キャンプ場のミズナラ
名称 笹ヶ峰キャンプ場のミズナラ
    (ささがみねきゃんぷじょうのみずなら)
名称の典拠 なし
樹種 ミズナラ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 4.8m(注2)
推定樹齢 不明
所在地の地名 新潟県妙高市杉野沢(笹ヶ峰)(注3)
 〃 3次メッシュコード 5538−20−36
 〃 緯度・経度 北緯36度52分02.5秒
           東経138度04分42.0秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2018年8月14日(下図)/19日(上図)

注1)まったくの目分量
注2)地表面から1.3mの高さにおける幹囲を実測
注3)2005年4月1日、1市1町1村が合併して妙高市誕生。旧行政区は中頸城郡妙高高原町





 深田久彌氏の著書「日本百名山」に載る2座、妙高山(みょうこうさん、2454m)と高妻山(たかつまやま、2353m)の間を関川(せきがわ)が流れる。
 谷底近くの斜面は勾配が急なのだが、底面から100mほど上方には、標高1300mほどのなだらかな斜面が広がっていて、左岸側は笹ヶ峰高原と呼ばれている。(「笹ヶ峰」は、乙見湖の北に聳えるピークの名前。右岸側は夢見平と呼ばれ、地蔵桂がある)
 かつてここは、ブナ、ナラ、トチノキなど落葉広葉樹の樹林だったのではないだろうか。上杉氏が越後を統治していた頃は、木地師の根拠地だったと伝えられているようだ。
 江戸時代末期になって、高田藩主榊原氏は、ここを開墾して農地にしようと図った。当初は水田を開こうと考えたようだが、冷涼な気候のため稲がうまく育たず、ソバやジャガイモ栽培、さらには牛馬の飼育や炭焼きなど、苦労しながら、なんとか開墾地を利用しようとしていたようだ。様々なことを試してはみたものの、結局どれもうまく行かず、明治末までには全住民が離散してしまった。(平凡社「新潟県の地名」を参考)
 しかし、それですべてが失われたわけではない。開墾地はその後、「笹ヶ峰牧場」として生まれ変わり、春から秋にかけての放牧場となった。
 牧場の近くにはキャンプ場も作られた。今から約60年前、小学校の野外学習だったと思うが、テントで1泊した記憶があるので、少なくともそれ以前からキャンプ場はあったはずである。
 左図のミズナラは、キャンプ場管理棟の近く。
 広大な高原をすべて歩いたわけではないが、多分、笹ヶ峰高原では最大の巨木である。
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