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画像:蓮着寺のクロマツ

画像:蓮着寺のクロマツと「袈裟懸けの松(2代目)」
左の背の高い松が今回の題材。右の枝を大きく広げ、背丈の低い方が2代目「袈裟掛之松」


画像:蓮着寺のクロマツ(幹と並ぶ)
  名称 蓮着寺のクロマツ (れんちゃくじのくろまつ)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)
樹種 クロマツ
樹高 不詳 (マツとしてはかなり背が高い)
目通り幹囲 4.4m(注1)
推定樹齢 不詳
所在地の地名 静岡県伊東市富戸(ふと)
 
〃 3次メッシュコード 5239−21−50
 〃 緯度・経度 北緯34度52分58秒
           東経139度07分52秒
天然記念物指定等 なし
撮影年月日 2002年12月26日

注1)私の目測値(私の目測法はここ





 鎌倉時代のこと、日蓮聖人は、そのあまりに急進的で攻撃的な布教方法が怒りを買い、幕府や他宗からさまざまな弾圧を受けた。その一つに俎岩(まないたいわ)の法難がある。
 蓮着寺の略縁起によれば、弘長元年(1261)の5月12日(現行暦では6月18日)、日蓮聖人は幕府に捕らえられ、流罪を申し渡されて、五月雨の降る夕闇の中を伊豆の配所へと送られた。薄暗い中、伊東の森を見誤った役人は、烏崎(現在は日蓮崎と改称)の絶壁の下に聖人を置き捨てた。そこが俎岩。置き去りにされた聖人が、声高らかに法華経を誦していると、たまたま家路を急ぐ舟守弥三郎の舟が通りかかり、聖人を救って岸まで送った。
 と、これが俎岩の法難の概略だ。
 岸に上がった聖人が袈裟を掛けて休んだと伝えられるのが「袈裟掛之松」。奥の院境内にあって、樹高34m、目通り4.6mの巨木だった。
 しかし、その松は昭和9年(1934)3月9日の野火で焼かれて枯死。今は参道の途中にある別の大松を2代目袈裟掛之松としている。
 ここで取り上げたのは、2代目と向かい合うように立つ、売店の後ろの松。太さはほぼ似たようなものだが、背の高さに見惚れて取り上げた。
 建物に近いため、低い位置にあった枝が刈り払われたこともあり、スラッとした姿だ。直幹の太さも十分である。
 蓮着寺の境内は先の俎岩の霊跡を含め、21万坪もある。国指定天然記念物のヤマモモの巨木をはじめ、このほかにも数多くの巨木が残されている。
 
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