ページタイトル:野木神社のケヤキ サイトのシンボル

画像:野木神社のケヤキNo.1
 イチョウ近くのケヤキ(目通り6.2m)


画像:野木神社のケヤキNo.2
 鳥居の外のケヤキ(目通り5.4m)
名称 野木神社のケヤキ (のぎじんじゃのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 40m/15m(注1)
目通り幹囲 6.2m/5.4m(注1)
推定樹齢 500年(注2)
所在地の地名 栃木県下都賀郡野木町野木
 
〃 3次メッシュコード 5439−25−56
 
〃 緯度・経度 北緯36度12分55.5秒
           東経139度42分30.2秒(注3)
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2008年11月15日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による。いずれも前者が上図、後者が下図の個体のデータ
注2)境内に設置された「野木神社由緒沿革」と題する案内板による
注3)これは左上図のケヤキの位置。なお、以前はうっかりミスから東京測地系におけるデータを掲載していた。現在の数値が正しい。(2016.11.14訂正)





 野木神社の主祭神は莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)。
 上記注2の案内板によれば、仁徳天皇(在位393?〜427?)の御代、下野国造奈良別命(ならわけのみこと)が当地に赴任する際、莵道稚郎子命の遺骨を奉じ来て、笠懸野台手函(かさがけのだいてばこ)の地に斎宮を築いた。その後、延暦年間(782〜806)には、蝦夷征伐から帰る坂上田村麻呂が現在地に社殿を造営、遷座したと伝えているようだ。境内のケヤキも十分に年老いてはいるが、これらのケヤキが生を受けるより、遙か以前のことである。
 創建伝承については、今はもう確かめようがないが、少なくとも鎌倉時代以降については確たる歴史があるようだ。遠い昔から、営々と歴史を紡ぎ続けてきた由緒ある神社なのである。
 明治時代には、音を同じくする乃木大将もたびたび野木神社を参詣したという。(ちなみに乃木希典大将は長州の生まれである)
 ところで、旧環境庁資料によれば、境内には、目通り3mを超えるケヤキが計14本。ほかにエノキやスギ、イチョウもある。
 ケヤキでは写真の2本が目につく。
 上図はイチョウ近くに立つ個体。背が高く、上部で大きな樹冠を支えている。根際が円錐形に広がっているため、傍らに立った印象は、データより太く感じられた。
 下図は、鳥居の外に立つ個体。主幹を途中で失っていて、背が低い。その幹も、かなりの部分が白骨化している。しかし、まだ生長を続けているようで、実測目通りは6.0mあった。
 晩秋の朝、天気は曇り。通りや境内に人の姿がなかった。もちろん植物が口をきけるわけではないが、私としては、巨樹たちが、人間に何事かを語りたがっているように感じられた。
 
ボタン:栃木県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る