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名称 中尾十二社のスギ (なかおじゅうにしゃのすぎ) 名称の典拠 なし 樹種 スギ 樹高 30m(注1) 目通り幹囲 5.0m(注1) 推定樹齢 不明 所在地の地名 新潟県十日町市松之山中尾(注2) 〃 3次メッシュコード 5538−45−60 〃 緯度・経度 北緯37度03分26.8秒 東経138度37分51.3秒 天然記念物指定 なし 撮影年月日 2021年7月23日 注2)2005年4月1日、十日町市に合併。旧行政区は東頸城郡松之山町 国道353号高館トンネルの南方2kmほどの谷間(たにあい)に中尾の集落がある。 幹線道路から離れた袋小路のような地理条件から、本来ならば、集落外から訪ねて来る人はそう多くないはずなのだが、中尾には人を呼び寄せる宝があった。 その一つが亀杉。素晴らしい体格の大杉だったのだが、惜しむべきことに、10年前の2011年8月2日に突然倒壊してしまった。 もう一つが悲しい伝説を秘める鏡ヶ池。少し長くなるが、当地に伝わる伝説のあらすじを紹介しよう。(ウェブサイト「松之山ドットコム」を参考) いまから1200年前、蝦夷征伐に失敗して越後に流された大伴家持(おおとものやかもち)が篠原刑部左衛門と名を変え、中尾に住んだ。夫婦には京子という名の一人娘がいたが、母は重い病に罹って死んでしまった。臨終の間際、母は形見として鏡を一つ与え、「母に会いたくなったらこの鏡を見よ」と言い残した。京子は母の若い頃に瓜二つだったのである。それ以後、京子は、寂しくなると鏡を見ては母の顔(実は自分の顔)に慰められていた。 のち父が再婚。継母となった女は事ある毎に京子に辛くあたった。京子は鏡を見ては身の不幸を嘆いた。その独り言を聞いた継母は、呪詛しているのでないかと怪しみ、折檻を重ねた。 或る日、鏡ヶ池の畔(ほとり)で泣いていた京子がふと水面を見ると、そこに母の姿が見えた。京子は思わず「母上」と叫び、池に身を投げた。 その様子を見ていた継母は、驚いて村人を呼び集め、京子を助けようとしたが、ついに見つけることは出来なかった。 やがて、京子が沈んだあたりに浮島が出来、毎年紅水仙が咲くようになった。京子が母から貰った鏡の裏に紅水仙の彫刻があったことから、これは京子の化身だと伝えられるようになった。…と、こういう話である。 この伝説は、明治時代に尋常小学校の国語読本に載ったことがあり、また謡曲「松山鏡」に通ずる部分があるように思われる。 今は入水しても死ぬことが難しそうな鏡ヶ池だが、かつては広くて水深もあったらしい。度重なる地滑りで池が少しずつ埋められ、浅く小さくなってしまったそうである。 ここからやっと大杉の話。 亀杉が立っていた観音堂の隣、鏡ヶ池を見おろす高台に十二社がある。 今は鏡ヶ池を巻いて続く参道が主参道となっているようだが、市道から登る表参道も残っている。 表参道の終点、石段の左右に大杉があって、向かって右が大きい。その少し下に立つ杉も大きく、3本の大杉が目につく。 亀杉が失われた今、中尾では一番の大杉である。 |
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