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名称 亀杉 (かめすぎ)
名称の典拠 「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」(注1)
樹種 スギ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 10.0m(注2)
推定樹齢 1000年(注3)
所在地の地名 新潟県十日町市松之山中尾(注4)
〃 3次メッシュコード 5538−45−60
〃 緯度・経度 北緯37度03分26秒
東経138度37分52秒
新潟県指定天然記念物(1958年3月5日指定)
撮影年月日 2002年8月18日(上)
2007年4月8日(下)
注1)1991年に旧環境庁が刊行。なお、天然記念物指定名称は「中尾の大スギ」だが、せっかく現地に伝わる固有名詞があるのだから、そちらを採用した
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)松之山町観光協会が設置した現地の案内板による
注4)2005年4月1日、広域合併により十日町市に編入。旧行政区は東頸城郡松之山町
中尾は、謡曲「松山鏡」のヒントとなった悲しい伝説で有名な鏡ヶ池がある集落。
亡き母の影を慕う悲しい娘を飲み込んだ鏡ヶ池は、思ったよりずっと小さい。想像していたのは、林下の瑠璃色の池だったが、実際の鏡ヶ池は、開けっぴろげな空間にあって、陽光が燦々と照りつけていた。
その鏡ヶ池を見下ろす高台に亀杉が立っている。ここは観音堂の境内で、本尊の十一面観音像は、娘を死に追いやったことを悔いた継母が、娘の菩提を弔って安置したとされている。
観世清次(観阿弥)・元清(世阿弥)父子にインスピレーションを与えた松山鏡伝説は、今から1200年前が舞台。観阿弥・世阿弥の生きた時代は今から600年前だから、この伝説は、少なくとも室町時代以前から語り伝えられていたことになる。
もちろん、世阿弥らが当地を訪れたことはなかっただろうが、その頃、既に亀杉はあったのだろうか。
ところで、亀杉の名は、樹形が亀の甲羅に似るためという。私にはそんな風に見えなかったが、見る位置が悪かったのかも知れない。
追記: 2011年8月2日夜9時頃、轟音とともに倒壊、下の市道を塞いだ。連日の豪雨で地盤が軟らかくなっていたことと、予想以上に根の力が弱くなっていたことが考えられそうだ。
堂々たる体格の大杉だったのだが、今はもうその姿を見ることは出来ない。 |
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