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画像:東根の大ケヤキ_1

画像:東根の大ケヤキ_2


画像:東根の大ケヤキ_3
名称 東根の大ケヤキ (ひがしねのおおけやき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 28m(注2)
目通り幹囲 12.6m(注2)
推定樹齢 1500年以上(注3)
所在地の地名 山形県東根市本丸南1丁目(注4)
 
〃 3次メッシュコード 5740−53−22
 〃 緯度・経度 北緯38度26分31.1秒
           東経140度24分06.7秒
国指定特別天然記念物(1957年9月11日指定)(注5)
撮影年月日 2004年8月4日(左の写真)
        2015年5月26日(少し大きめの画像)

注1)東根市教育委員会が設置(設置年月不詳)
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注3)現地の案内板による
注4)以前は所在地を「東根市東根字元東根本丸」としていたが、住所表示の変更に伴って訂正した
注5)1926年10月20日に国から天然記念物指定を受け、さらに1957年9月11日、特別天然記念物に指定された。2004年8月現在、国指定天然記念物のケヤキは、この他に15件あるが、特別天然記念物指定を受けているのは、この「東根の大ケヤキ」1件のみ





 高橋弘著「日本の巨樹・巨木」(新日本出版社刊)や、渡辺典博著「巨樹・巨木」(山と渓谷社刊)で、日本一の幹周を持つとされるケヤキである。1991年刊行の旧環境庁資料では「天子のケヤキ」「三恵のケヤキ」に次いで全国第3位とされているが、これら2者は、姿をご覧になっていただけばおわかりのように、盛時の姿をとどめていない。実質日本一は、やはりこの木だろう。高橋氏が実測した幹周は15.8mもあったということである。
 地名からもおわかりのように、ケヤキの立つ地は、正平2年(1347)、小田島備前守長義が築いた小田島城(東根城)の本丸跡にあたる。推定樹齢が正しければ、ケヤキは築城以前から、既に大木であったことになる。
 土から立ち上がった太い主幹は地上5〜6mで失われ、そこから2本の大枝が伸びている。道路側に伸びた太い方の1本の基部近くには根にまで達する斜めの傷跡が残り、裂けて倒壊する危険があったことを物語る。きちんと治療され、木自身の修復機能も働いて、事なきを得たようである。
 講談社刊「日本の天然記念物」によると、内部には畳2枚の広さの空洞があり、南北の開口部から通り抜けることができたという。また、古くは、乞食が空洞に寝泊まりしていたこともあったといい、焚き火をした痕跡も残っているとか。
 かつては、こんな大ケヤキが2本あったようだ。2本は雄槻(ちちけやき)、雌槻(ははけやき)(注5)と名付けられていた。残念ながら、雄槻の方は、明治18年(1885)に枯れてしまった。人が雄雌一対の名を付けて呼ぶとき、たいてい雌よりも雄の方が大きい(魚や昆虫のように、実際はメスの方が大きいものも多いが)。ここではどうだったのだろうか。倒れてしまったのは、この木よりさらに巨大な体躯を有していたのだろうか。
 城跡は小学校に生まれ変わり、今は正門前の一角である。子供たちは、毎日、大ケヤキを目にしながら、登下校する。東根小学校の子供たちは、一生、この天からの授かりものを忘れはしまい。
 昇降口の上には「夢きらり はじける笑顔 けやきっ子」の標語が掲げてあった。

注5)読みは渡辺典博著「巨樹・巨木」による。講談社「日本の天然記念物」では、それぞれに「おつき」「めつき」のルビがふられている
 
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