ページタイトル:安塚神社のスギ ロゴ:人里の巨木たち

  幹囲5.3m  ↓ 幹囲5.1m
画像:安塚神社のスギB(幹と並ぶ)
  名称 安塚神社のスギ (やすづかじんじゃのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 30m(注1)
目通り幹囲 5.3mほか(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名
 新潟県上越市安塚区安塚(注2)
 〃 3次メッシュコード 5538−53−56
 〃 緯度・経度 北緯37度07分44.1秒
           東経138度26分54.1秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2016年7月24日

注1)「新潟の大杉と天然杉」による
注2)2005年1月1日、広域市町村合併により上越市に合併。旧行政区は東頸城郡安塚町





 上杉謙信より古い時代の武将に、風間信濃守信昭(かざましなののかみのぶあき)なる人物がいた。詳しい生没年はわかっていないが、14世紀、南北朝時代に南朝方の武将として活躍したことが各種史料に見えるらしい。
 この風間信昭の居城が高田高校安塚分校(旧安塚高校)の裏手に聳える城山(じょうやま、344m)にあり、直峰城(のうみねじょう)と呼ばれていた。
 風間氏の一族は信濃から越後に移ってきたようで、そのためか、諏訪神社への信仰が篤く、直峰城下にも諏訪大明神を勧請した。それが、安塚神社の原型である。(ここに限らず、上越市内には諏訪神社が多い)
 上杉氏の時代に変わっても信仰は引き継がれ、謙信が関東に兵を進める際には武運長久を祈願し、また戦勝を祝して灯籠を奉納したという。現在も「上杉御用」と刻字された天正3年(1575)銘の灯籠が残っているそうである。(平凡社「新潟県の地名」による)
 諏訪神社は、昭和16年(1941)に近隣の神社を合祀して安塚神社と改称、今日に至っている。
 境内は、スギの樹林に覆われている。巨木も多く、幹囲5mを超える個体だけでも3本ある。
 それらのうちで、手水舎の左奥の樹林内に立つ個体が最大だと思われる(左上図)。
 参道途中、注連縄を付けた個体(左下図)も大きい。
 ただし、いずれの個体も、風間信昭の時代まで遡るのは無理のように思われる。
 
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