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名称 八村杉 (やむらすぎ) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 スギ 樹高 54m(注2) 目通り幹囲 13.3m(注2) 推定樹齢 伝承800年(注2) 所在地の地名 宮崎県東臼杵郡椎葉村下福良 〃 3次メッシュコード 4831−61−05 〃 緯度・経度 北緯32度30分41.4秒 東経131度11分31.4秒 国指定天然記念物(1935年6月7日指定) 撮影年月日 2011年8月9日 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による 耳川の支流十根川沿いの国道265号十根川(とねがわ)バス停から東に登る道がある。 1kmと少しその道を登ると、右手に大きな駐車場があり、八村杉の案内が出ている。もっとも、駐車場のかなり手前から、もうすでに八村杉の抜きんでた姿が見えている(左下図)。 大杉は、十根川神社の神殿横。明治4年(1871)、現社号に改めたが、それまでは「八村大明神」と呼ばれていた。それゆえ大杉も「八村杉」と呼ばれた、ということのようだ。(「十根(とね)の杉」と呼ばれることもあるらしい) 背も高く、幹も太い。すばらしい大杉である。あまりに大きすぎて、写真に撮りづらいことが難点ではあるが。 話は変わるが、源平合戦の最後を飾る壇ノ浦の戦いに敗れた平家は、落人となって各地の山奥に散って行った。 ここ椎葉村にも多数の落人が逃れてきた。源頼朝は弓の名手として知られる那須与一(なすのよいち)の弟大八郎宗久に、このあたり一帯に潜む残党の討伐を命じた。 大八郎は3年間の駐留で討伐を果たし、帰還するが、その大八郎自らが植えたのが、この八村杉だという。(それが樹齢推定の根拠のようだ) いまは血なまぐさい話など無縁な静かな地である。 八村杉の近くにはもう1本の大杉とイチイガシが立ち、大駐車場から神社までの歩道脇にはトチノキも見える。なかなかの巨木の森だ。 旧環境庁資料によれば、目通り3mを超す巨木が境内に約20本あるそうである。 |
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