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画像:鶴ヶ城のケヤキ(幹と並ぶ)
管理事務所裏のケヤキ(目通り目測値6.7m)

画像:鶴ヶ城のケヤキ(幹と並ぶ)
西出丸石垣のケヤキ(目通り目測値6.0m)

画像:鶴ヶ城のケヤキ
テニスコート横のケヤキ(目通り目測値5.2m)
名称 鶴ヶ城のケヤキ (つるがじょうのけやき)
名称の典拠 なし (私が勝手に命名)
樹種 ケヤキ
樹高 不明
目通り幹囲 6.7mほか(注1)
推定樹齢 伝承410年
所在地の地名 福島県会津若松市追手町(おうてまち)
 
〃 3次メッシュコード 5639−17−84
 〃 緯度・経度 北緯37度29分18秒
           東経139度55分43秒(注2)
           北緯37度29分16.6秒
           東経139度55分37.9秒(注3)
           北緯37度29分20秒
           東経139度55分55秒(注4)
天然記念物指定等 なし(注5)
撮影年月日 2004年5月15日

注1)私の目測値(私の目測法はここ
注2)管理事務所裏のケヤキの位置
注3)西出丸石垣上のケヤキの位置
注4)テニスコート横のケヤキの位置(位置の精度に自信なし)
注5)ただし、ここに取り上げた巨樹をはじめ鶴ヶ城公園内の樹木、計2062本が福島県「緑の文化財」に登録されている





 白虎隊で有名な会津若松藩の中心が、この鶴ヶ城。天守閣は昭和40年(1965)再建の新しいものだが、木々の歴史は古い。
 会津若松城は、もともと芦名氏の居城だった。芦名義広の時に伊達政宗との争いに敗れて城を奪われ、義広は、ことの不法を豊臣秀吉に訴えたが、結局旧領地は戻らず、会津の地は蒲生氏郷に与えられた。
 蒲生氏が城主となって、天正18年(1590)、七層の天守閣築造に着手し、同時に多数の樹木を植えた。それが今日の鶴ヶ城公園の礎である。
 サクラなどは若そうだが、ケヤキ、アカマツ、スギ等には巨木も混じる。目通り4mを優に超えるモミも見られる。築造当初から生き続けている木もあると思われる。
 ぶらぶら歩いてみた限りでは、管理事務所裏の土塁斜面に立つケヤキが一番太そうだ。西出丸石垣の上に立つケヤキも立派だ。(後者は国道118号からも見える)
 いずれも内部は空洞になっている(西出丸のケヤキも、写真の裏側に大きな空洞がある)。これだけの巨木になれば、それも珍しくはない。
 しかし、空洞にかかわらず、樹勢は悪くなさそうだ。横に大きく枝を広げて、若葉をたくさん茂らせていた。
 
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