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名称 転法輪寺の大イチョウ (てんぽうりんじのおおいちょう) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 イチョウ 樹高 32m(注2) 目通り幹囲 5.8m(注2) 推定樹齢 伝承600年(注2) 所在地の地名 鳥取県東伯郡琴浦町別宮(注3) 〃 3次メッシュコード 5333−15−02 〃 緯度・経度 北緯35度25分31.3秒 東経133度39分31.7秒 鳥取県指定天然記念物(1956年5月30日指定) 撮影年月日 2009年4月11日 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による 注3)2004年9月1日、東伯郡内の2町が合併して琴浦町誕生。旧行政区は東伯郡東伯町 古布庄の大スギから、加勢蛇川(かせいちがわ)に沿って県道44号を3kmほど下ると、別宮(べつみや)である。 集落の中ほど、山裾にあるお寺が天台宗湯谷山転法輪寺。空也との深い関係を伝えるお寺だ。 平凡社「鳥取県の地名」から、転法輪寺について引用しよう。 開創は承和年間(834〜48)。開山は慈覚大師円仁。かつては東西6町(約650m)、南北8町(約870m)の広大な範囲に伽藍が建ち、上之坊・中之坊・下之坊の3僧坊を有していたという。 空也のことは、縁起書に記されているらしい。 天禄2年(971)7月、当地に至った空也が、中之坊に逗留。苦行で衰弱した身体の療養に努めたが、翌3年9月、70歳で没した。それを聞いた円融天皇(在位969〜984)は、空也の徳を讃えて勅を下し、精舎一宇を建立。阿弥陀如来立像を本尊となし、その左右に、それぞれ修行姿、入定姿の空也像各1体を安置して、寺号を転法輪寺と改めたと伝えている。 空也が没したのは、京の東山西光寺(現六波羅蜜寺)だというのが史実と思われるが、ここ別宮には、空也の墓なるものもある。 いずれにしろ、遠い昔より空也の寺として知られ、寺蔵の空也像(鳥取県指定文化財)は、しばしば盛大な出開帳が行われて、因幡・伯耆の人たちがよく知るところだったようだ。 お寺の説明が長くなってしまった。 本堂の斜め前、墓地の上に、県天然記念物の大イチョウが立っている。 単幹で、スラッとした感じのイチョウだ。最初の大枝にいくつかの気根が見られるが、ほかに顕著なものはない。枯れ枝を切除するなど、手入れが行き届いていて、全体に樹勢がよい。樹齢も比較的若いのではなかろうか。 |
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