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名称 光雲寺の厄除の杉 (こううんじのやくよけのすぎ) 名称の典拠 なし(注1) 樹種 スギ 樹高 18m(注2) 目通り幹囲 4.5m(注2) 推定樹齢 伝承1000年(注2) 所在地の地名 奈良県高市郡高取町越智 〃 3次メッシュコード 5135−56−41 〃 緯度・経度 北緯34度27分39.0秒 東経135度45分52.5秒 天然記念物指定 なし 撮影年月日 2023年7月25日 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 近畿版」(1988年報告値)による 橿原市・御所市・高取町の3市町が境を接する場所の近く、JR和歌山線掖上(わきがみ)駅の北方約1km。曽我川(そががわ)右岸の山裾に、黄檗宗越智山光雲寺がある。 光雲寺公式ウェブサイトに記述されていた内容を要約させていただくと、寺の歴史は、貞和2年(1346)、高取城主越智邦澄が出家後、越智家の菩提寺として興雲寺を建立したことに始まる。禅宗ということだから臨済宗(もしかして曹洞宗)だったのだろうか。その後、一時期浄土宗に転じたこともあったようだが、天和年中(1681〜84)に京都西山浄住寺の鉄牛和尚が黄檗宗寺院として再興。その際に寺号を光雲寺に改めたようだ。 参道の入口に左図の大杉が立つ。(駐車場あり) 上記ウェブサイトにはこの杉についての記述もあった。 戦国時代のこと。織田信長の命により筒井順慶が当地の鳥屋陣羽守を攻撃。敗れた鳥屋氏の二人の息子が敗走する際、この大杉に登って追手から逃れることが出来た。その2人は42歳と25歳でちょうど厄年であったことから、この杉は「厄除の杉」と呼ばれるようになったのだという。 今から400年前、既に人の姿を隠すほどに大きかったとは少々信じがたい話だが、この話は当地でよく知られているらしく、『明日香にある岡寺の星祭りには、この杉の枝を持ち帰り厄払いの行事に使われ今日に至っている』そうである。 |
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