|
|
|
名称 鷹乃杜の亀杉 (たかのもりのかめすぎ)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 スギ
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 6.1m(注3)
推定樹齢 350年(注2)
所在地の地名 宮城県富谷市鷹乃杜2丁目(注4)
〃 3次メッシュコード 5740−46−39
〃 緯度・経度 北緯38度22分02秒
東経140度52分09秒
富谷町指定天然記念物(1969年12月5日指定)
撮影年月日 2008年8月26日
注1)普通は単に「亀杉」と呼ばれているようだ。しかし、亀杉の名は各地に散見されるため、名から個体を識別しにくい。そのため当サイトでは地名を冠させてもらった
注2)河北新報社「宮城の巨樹・古木」(1999年刊)による
注3)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注4)2016年10月10日、市制施行。富谷市となる。旧名称は黒川郡富谷町
仙台市のベッドタウンの住宅地の中に立つスギ。
「鷹の杜長生会」(敬老会だろうか?)なるグループが、石段の脇に大杉の由来を記した小さな石碑を設置してくださった。大杉の下は児童遊園地である。小学生では読めないかも知れないが、大人が読み聞かせてやれば十分に内容が理解できるような、簡明な文で記されていた。
内容を要約すると、伊達政宗がここに鷹狩りに訪れた際、可愛がっていたタカが急死した。そこで、近くの農家から素焼きの瓶を貰い受け、亡骸を納めて埋葬した。傍らに植えられたスギがこの大杉となった。瓶杉がのちに亀杉に転じた、というものである。
亀杉は、この一事をみても、とても大切にされているようだ。枯損枝の処理もきちんとされている。
周囲を高い金網で囲んだのも、いたずらを物理的に退け、また木登りの危険を防ぐためなのだろう。そこで生活している者にとって必要な処置だったのかも知れない。
ただ、ちょっと違和感も感じた。部外者の無責任な発言と、お叱りを受けそうだが、金網にすがって見る大杉は、なにか動物園の動物を見るようで、威厳を感じることが出来なかったのは事実である。 |
|