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画像:将軍杉

画像:将軍杉_2
名称 将軍杉 (しょうぐんすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 38m(注2)
目通り幹囲 19.3m(注3)
推定樹齢 1400年(注4)
所在地の地名 新潟県東蒲原郡阿賀町岩谷(注5)
 
〃 3次メッシュコード 5639−42−69
 
〃 緯度・経度 北緯37度43分14.1秒
           東経139度21分39.8秒
国指定天然記念物(1927年4月8日指定)
撮影年月日 2002年4月27日(左画像)
        2015年9月21日(少し大きめの画像)

注1)設置者・設置年月日とも不詳
注2)環境庁編「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)上記「日本の巨樹・巨木林」調査の1991年版では15.65mとされていたが、2001年の環境省再調査で19.31mとされた。
注4)現地の案内板による。
注5)2005年4月1日、郡内4町村が合併して阿賀町誕生。旧行政区は三川村





 曹洞宗の名刹岩谷山平等寺境内に立つ。環境省の測定方式による目通りは19.3mであり、全国のスギではNo.1の幹囲を持つことになる(注5)。しかしこれは、地表近くで多くの幹に分かれる、この木独特の樹形が寄与するもので、その辺は差し引いて考えねばならない。
 そうは言っても、超ド級の巨杉であることにかわりはない。天に向かって伸びる6本の幹には、周囲を圧する威厳がある。
 肝心の中央の1本が途中で失われているのが残念だ。昭和36年秋の第二室戸台風の被害である。同台風は、将軍杉以外にも新潟県内の多くの巨樹に被害を与えた憎ッくき台風である。
 将軍杉の「将軍」とは、10世紀頃の余五将軍平維茂(たいらのこれもち)のこと。鬼女紅葉狩り伝説でも有名な余五将軍は、晩年をこの地で過ごしたといい、この杉は、遺骸を葬った際に目印として植えられたという。信憑性は乏しいように思うが、この杉の姿を、余五将軍の霊力の現れと見たくなる気持ちは分かる。
 また、将軍杉の樹形については次のような伝説もある。
 当地岩谷の人々は阿賀野川の水運で生計を立てていた。あるとき新造船を作ったが帆柱がない。協議の結果、将軍杉を切ることに決まった。翌日、集まってみると、杉は枝の高さまで身を沈めていた。人々は自分たちの考えを恥じ、以後大切にするようになったという。(注6)

注5)2004年6月19日、富山県魚津市の洞杉群のなかに30.18mの巨杉が確認された(2004/06/29追記)
注6)昭和42年刊「越佐の伝説」(小山直嗣著)に紹介されていた話は…大杉にタカやワシが巣を作り、村へ出て鶏や犬、猫を攫うので、村人が相談して大杉を切り倒すことにした。そして大勢が集まって斧を振り上げた瞬間、大杉はうなり声を発し、枝の所まで地中に埋まった、というもの。いずれの話も、地表付近で多数幹に分かれる不思議な姿を説明するために創作された話と思われる。(2022/07/11追記)
 
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