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イチョウは目通り約5m |
名称 千寿のケヤキ (せんずのけやき) 名称の典拠 なし 樹種 ケヤキ 樹高 20m(注1) 目通り幹囲 6.5m(注1) 推定樹齢 300年以上(注1) 所在地の地名 茨城県常陸太田市千寿町(注2) 〃 3次メッシュコード 5440−63−97 〃 緯度・経度 北緯36度35分01秒 東経140度28分09秒 天然記念物指定 なし 撮影年月日 2008年3月1日 注1)旧環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」に目通り6.51mのイチョウと同5.01mのケヤキが掲載されている。が、実際は、ケヤキの方がかなり太い。データが入れ違ったと仮定してみたが、正しくはどうなのだろうか 注2)2004年12月1日、常陸太田市に合併。旧行政区は久慈郡金砂郷町 入千寿集落の北東端に金砂神社が鎮座している。 大同元年(806)3月創建と伝え、祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。これらは大イチョウの西金砂神社と軌を一にする。客観的に見て、少なくとも江戸時代以降は西金砂神社の方が栄えていたようだが、本家はこちらだといわんばかりに、石柱に刻まれた名は「元金砂神社」。 とすれば、私なりの命名ルールにより、このケヤキは「金砂神社のケヤキ」とすべきところだが、正直のところ、当のケヤキが金砂神社に属するのか、はたまた千手観音堂に属するものなのか、判断がつきかねた。それで、地名をとって名付けてみたわけである。 金砂郷町時代の大字名は千寿(せんず)で、これは旧村名に由来するのだが、天保13年(1842)以前の千寿村は「千手村」と記していた。この村名は、イチョウの近くに建つ千手観音堂との関係を想像させる。 ところで、ケヤキである。 観音堂に至る参道脇に立ち、幹断面はかなり扁平である。融合木のような気もするが、真偽のほどはわからない。 参道部分は土が少し深く掘れている。そして、ケヤキの根が、それに沿って横に長く伸びている。根の太り具合から見て、人工的にか自然にか、参道が掘り込まれたのはかなり昔のことのようだ。 あまり知られることのない大ケヤキである。 (横からの強い光で、ひどい写真になってしまった) |
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