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画像:専修寺のケヤキ


画像:専修寺のケヤキ(幹と並ぶ)
名称 専修寺のケヤキ (せんじゅじのけやき)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 16m(注2)
目通り幹囲 5.2m(注2)
推定樹齢 610年(注3)
所在地の地名 栃木県真岡市高田(注4)
 
〃 3次メッシュコード 5440−40−62
 
〃 緯度・経度 北緯36度23分35.7秒
           東経140度01分25.6秒
栃木県指定天然記念物(1975年1月28日指定)
撮影年月日 2007年2月17日

注1)標柱には「高田山専修寺のケヤキ」とある。だが、一般には樹名に山号まで含めることは例が少なく、また天然記念物指定名称も標記のとおりであるので、ここでは山号を省かせてもらった
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による
注3)栃木県教育委員会が管理するHP「とちぎの文化財」による
注4)2009年3月23日、真岡市に合併。旧行政区は芳賀郡二宮町





 真宗の名刹、高田山専修寺総門前に立つケヤキ。旧環境庁データでは、根上がりと見て、かなり上の方の幹囲を測定したらしい。実感する幹囲はもっと大きい。
 もとは反対側にも大ケヤキがあって、一対となっていたらしいが、今はもうない。つれあいを失ってしまった。
 お寺についても少しだけ紹介しよう。
 師の法然に連座して、越後流罪となった浄土真宗開祖親鸞が、許されて関東に移り、現在の茨城県が教団の拠点となった。
 その頃、のち親鸞の高弟となった真仏が、如来堂に親鸞を招いて専修念仏の道場としたと考えられている。この如来堂が専修寺の前身であり、高田門徒と呼ばれる有力教団を育てた。
 高田派本山としての専修寺は、寛正5年(1464)に伊勢一身田(現三重県津市)に移ったが、いまも旧本山として門徒の尊崇を集める重要な寺院なのである。
 伽藍も整い、御影堂、如来堂、総門、楼門の4棟は国重文。
 
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