ページタイトル:西岸寺のシダレザクラ ロゴ:人里の巨木たち

画像:西岸寺のシダレザクラ_1

画像:西岸寺のシダレザクラ_2
名称 西岸寺のシダレザクラ
    (せいがんじのしだれざくら)
名称の典拠 なし
樹種 エドヒガン
樹高 6m(注1)
目通り幹囲 3.8m(注1)
推定樹齢 400年(注2)
所在地の地名 長野県上伊那郡飯島町本郷
 〃 3次メッシュコード 5337−37−85
 〃 緯度・経度 北緯35度39分31秒
           東経137度56分07秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2014年4月11日

注1)環境省巨樹データベースによる
注2)2007年5月に飯島町教育委員会が設置した案内板による





 西岸寺には、本堂前に「抱寿貴(だきすぎ)のカヤ」と呼ばれる大きなカヤがあって、町から天然記念物指定を受けている。カヤの幹の途中から、まるで大枝の1本のような顔をしてスギが出ている姿が珍しい。
 シダレザクラはというと、参道の途中、山門の手前に立つ。普段はカヤの陰に隠れてしまいがちだが、花の季節には、カヤから主役の座を奪ってしまうことだろう。
 こちらは天然記念物ではないけれども、飯島町教育委員会が案内板を設置して、このサクラに因む話を紹介している。(「伊那三女ゆかりの桜」)
 それによると、江戸時代、元文(1736〜41)の頃、この近くに和歌をよくする3人の女性がいた。当地本郷の河野清(きよ)、桃沢亀(かめ)、それに七久保の那須野さんである。この清女、亀女、さん女が「伊那の三女」である。
 3人は同時代を生き、ともに飯田の依田梅山(よだばいざん)に和歌を学び、駿河国の白隠禅師に禅を学んだ。もちろん互いによく知っていて、仲も良かったようだ。
 それから約百年。文政12年(1829)の「信濃奇談」(堀内元鎧(もとつな)著)に、三女が登場する。
 ある年の春、本郷に住む二女が西岸寺の桜を眺め、歌詠みを楽しんでいたところ、それを伝え聞いたさん女から歌が届いた。「色も香も盛りと聞きし花にまたこと葉の花の色も添ふらん」。(「こと葉の花」に、「異なる葉の花」(つまり七久保の住民である私)と「言葉の花(つまり和歌)」の両意を込めた?)
 二人はすぐに歌を返した。「吹く風に散らば惜しけん桜花はや来て見ませ咲きの盛りを 清女」「もろともに見てぞ嬉しきこの寺の花のむしろに来よまどゐせん 亀女」
 さん女は早速、酒と肴を持って加わり、ともに終日楽しんだという。
 あまり上等な歌とも思えないのだが、百年後になっても取り上げられるくらいだから、三女はよほどの有名人だったに違いない。そしてまた、この女子会には、近隣の人たちが目を見張ったことだろう。
 三女が集ったのがこのシダレザクラだとしたら、サクラの方も、250年以上昔からよく知られていたわけだ。
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