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幹の途中から出たスギ
参道のクロマツ
参道のドウダンツツジ |
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名称 西岸寺のカヤ (せいがんじのかや)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 カヤ
樹高 18m(注2)
目通り幹囲 4.9m(注2)
推定樹齢 伝承500年(注2)
所在地の地名 長野県上伊那郡飯島町本郷字寺平
〃 3次メッシュコード 5337−37−85
〃 緯度・経度 北緯35度39分31.5秒
東経137度56分05.9秒
飯島町指定天然記念物(1981年10月1日指定)
撮影年月日 2008年6月14日
注1)飯島町教育委員会が設置?
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
臨済宗妙心寺派の名刹臨照山西岸寺の境内に、1本のカヤが立っている。
別名を「抱寿貴(だきすぎ)のカヤ」という。「寿貴」はスギのことで、カヤがスギを抱いた姿を吉兆として、このような文字を充てたものだろう。
普通、別の木を抱くとは、近接して根を張った2本の木がそれぞれ領分を主張し合い、成長力に勝った方が他方の周囲を囲んでしまうことを言う。
それが、ここではそうではない。スギは、まるでカヤの枝の1本のような顔をして、幹の途中から伸びているのだ。
たまたまカヤの枝痕のウロに飛び込んだスギの種が芽生えて大きくなったのだろうか? もしそうだとしたら、水分はどこから得ているのだろうか? 不思議である。
カヤはしかし、そのような奇瑞がなくとも、十分に立派な巨木である。もっと知られてもよいように思われた。
柿木憲二氏ほか数名の共著「探訪・信州の古寺」(郷土出版社)によれば、西岸寺は弘長元年(1261)大覚禅師蘭渓道隆が開山した古刹。応安6年(1373)には、室町幕府により諸山に列せられたという。
江戸時代の朱印地は28石。天和年間(1681〜4)に美濃国(現美濃加茂市)正眼寺から大極唯一和尚が入山して建長寺派から妙心寺派に転じた。宝暦7年(1757)には白隠禅師が訪れたともいう。創立以来、寺運は栄えていたようだ。
この西岸寺は、特異な参道松並木によっても知られている。(参道は飯島町指定名勝)
お寺や神社の参道並木というと、背が高く、がっしりした木で両側を固めるのが普通だ。そこに近づいたことがわかる目印となることが、大きな意味の一つだと思われる。俗世にない威厳を保つことも必要だろう。また、強い日射しや風雪から参詣者を保護する意味もあるのかも知れない。
西岸寺の並木は違う。安永2年(1773)頃に植えられたと考えられているクロマツは、まるで盆栽のような姿だ。石垣上の幅の狭いベルト状の部分に植えられていて、これが鉢植えのような効果をもたらしたのだろうか。若木のうちから、この姿を意図して剪定されたであろうことはもちろんである。
この並木を作った九江和尚という方は、よほど形や権威にとらわれることを嫌った人物のようである。 |
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