ページタイトル:坂本のセンダン 当サイトのシンボル

画像:坂本のセンダン(幹と並ぶ)

画像:坂本のセンダン(全景)
名称 坂本のセンダン (さかもとのせんだん)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 センダン
樹高 20m(注2)
目通り幹囲 5.0m(注3)
推定樹齢 100〜199年(注4)
所在地の地名 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷区立石(注5)
 〃 3次メッシュコード 4831−53−43
 〃 緯度・経度 北緯32度27分18.1秒
           東経131度24分44.4秒
美郷町指定天然記念物
撮影年月日 2012年7月31日

注1)1990年に旧西郷村が設置?
注2)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
注3)地表から1.3mの高さに於ける幹囲を実測
注4)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注5)2006年1月1日、東臼杵郡内の西郷村・南郷村・北郷村の3つの*郷村が合併して美郷町誕生。旧行政区は西郷村





 探訪計画になかったのだが、耳川添いの国道327号を走っていて目についたセンダンである。帰郷後に調べてみたら、旧環境庁時代から既に資料に載っていた。
 最初の1988年調査時の幹囲は425cm。12年後の2000年のフォローアップ調査では456cm。そしてもう12年後にあたる私の測定値は499cm。確実に幹囲が増加している。
 南国では、センダンを小学校の校庭に植えることが多い。「栴檀は双葉より芳し」の例にあやかろうというのだろう。(寒さの厳しい地方にセンダンは育たない)
 ここも、実はそうだった。センダンが立つのは、昭和50年(1975)3月に廃校になった坂本小学校の跡地なのである。
 明治11年(1878)、田代小学校の分教場として始まり、同25年(1892)、独立した小学校になった。センダンの近く、沿革を刻んだ石碑にそう書いてある。このセンダンは、そのいずれかの年に植えられた可能性が高い。
 沿革には、その後、校舎を3度増築したことも書かれている。義務教育が浸透したこともあるだろうが、この地域でも人口が増加しつつあった時代を思い出させる。
 戦後、「繁栄」の二文字を目指して、脇目もふらず突っ走ってきた日本で、都市部への人口大移動が起こり(今も止まったわけではない)、山間(やまあい)の様子はずいぶん変わってしまった。
 自らもその成果を享受していながら、つい過去への感傷に浸りがちになるのは、私が年を取ったせいだろうか。
 
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