ページタイトル:最誓寺のソテツ 当サイトのシンボルマーク

画像:最誓寺のソテツ 名称 最誓寺のソテツ (さいせいじのそてつ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ソテツ
樹高 7m(注1)
目通り幹囲 3.5m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 静岡県伊東市音無町
 〃 3次メッシュコード 5239−30−57
 〃 緯度・経度 北緯34度58分00.4秒
           東経139度05分46.4秒
伊東市指定天然記念物(1969年6月23日指定)
撮影年月日 2020年2月4日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による





 伊豆流罪中の源頼朝(みなもとのよりとも)が、頼朝の監視役であった伊東祐親(いとうすけちか)の留守中にその娘八重姫と逢瀬を重ねたという音無神社から道を1本挟んで東隣に、曹洞宗宝珠山最誓寺がある。
 最誓寺について、寺号柱の側面に刻まれた縁起と境内の「伊東家墓碑由緒」の記述を総合して要約すると、およそ以下のようである。
 父が留守の間、八重姫は頼朝との間に一子千鶴丸をもうけた。しかしそのことが平家方に属する父祐親の逆鱗に触れ、祐親は幼い千鶴丸を松川(伊東大川のこと?)上流の稚児ヶ淵に沈めて殺害。さらに頼朝の殺害をも謀ったが、頼朝は北条氏のもとに逃れた。その後、八重姫は北条家の江間小四郎(後の鎌倉幕府第2代執権北条義時)に嫁いだ。
 頼朝による鎌倉幕府樹立後、江間小四郎と八重姫の立願により千鶴丸の菩提を弔うため、真言宗西成寺を開基。慶長年間になってから曹洞宗に改宗して寺号も最誓寺と改めた。本尊は曹洞宗にしては珍しく阿弥陀如来。
 従って、本来、祐親はじめ伊東氏の菩提寺ではなかったのだが、菩提寺の東光寺が衰え、江戸末期にはついに廃寺となるに至り、伊東氏の墓は最誓寺に移された。
 そのような内容であった。
 本堂の手前、向かって左。水子地蔵堂の隣に天然記念物のソテツが立つ。
 路地でこんなに大きくなれることから、伊豆半島がいかに温暖な地であるかがわかる。
 樹齢から見ると、肉親同士で争った鎌倉時代の血なまぐさい事件とは無縁のソテツのようである。
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