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名称 大久保庵のムクノキ (おおくぼあんのむくのき) 名称の典拠 なし(注1) 樹種 ムクノキ 樹高 不明 目通り幹囲 6m/5.5m(注2) 推定樹齢 不明 所在地の地名 徳島県三好市井川町井内東(注3) 〃 3次メッシュコード 5033−77−91 〃 緯度・経度 北緯33度59分58.7秒 東経133度53分26.6秒(注4) 天然記念物指定 なし 撮影年月日 2013年3月22日 注1)傍らの回国碑の案内板に「大久保庵日本回国碑」とあったので、その一部を借用 注2)まったくの目分量 注3)2006年3月1日、三好郡内の4町2村が合併して三好市誕生。旧行政区は三好郡井川町 注4)これは大きい方のムクノキ(上図)の位置 下久保のエドヒガンの横を通り、そのままさらに「メイト文化村」に向かって登って行くと、このムクノキの前に出る。ムクノキは2本あり、ほぼ似たような大きさだが、下図、向かって右手の方がやや大きい。 その、大きい方のムクノキの根方に、「奉供養大乗妙典 日本回国」と刻まれた石碑がある。文政10年(1827)に建立されたものだ。 日本回国供養とは、法華経66部を写経し、日本全国60余州を巡って、それぞれ代表的な社寺に納経する行いのこと。当時は、もちろん歩いて回ったのだから、要した日数や費用は膨大なものだっただろう。 それだけに、成就したときの喜びもひとしおだったに違いない。成就の証しとして供養塔を建て、祝ったのだろう。建立に際しては全国各地に援助者もいたようで、ともに成就を喜んだと思われる。 この碑では、本願主(実際に回国した人)は「ヱンシウ虎歳」。遠州(現静岡県西部)の虎歳(こさい? あるいは虎蔵、つまりトラゾウの誤りかも知れない)なる人物だったようだ。 故郷の遠江ではなく、この地に建立したということは、阿波が満願の国で、その後はここ、大久保庵に住んだということだろうか。(当否不明) 回国碑の話が長くなった。 下図に見える白い建物が、現在の大久保庵のようだ。 回国碑の位置が動かされていないとすれば、当時、このムクノキは、既によく目立つ存在になっていたということだろう。 つい相棒の影に隠れてしまいがちだが、もう1本の方だってなかなかのものだ。 幸い、いずれも樹勢は悪くなさそうだ。今後も、仲良く競い合ってほしいものである。 |
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