ページタイトル(八幡の姥杉) サイトのシンボル

画像:八幡の姥杉(旧名男杉)
 旧名は男杉(おすぎ)。目通り5.5m

画像:八幡の姥杉(旧名女杉)
 旧名は女杉(めすぎ)。目通り6.0m
名称 八幡の姥杉 (はちまんのうばすぎ)
名称の典拠 現地の標柱(注1)
樹種 スギ
樹高 26m/29m(注2)
目通り幹囲 5.5m/6.0m(注2)
推定樹齢 伝承950年(注2)
所在地の地名 宮城県登米市中田町上沼(うわぬま)字八幡山(注3)
 
〃 3次メッシュコード 5841−02−92
 
〃 緯度・経度 北緯38度45分02秒
           東経141度16分21秒
中田町指定天然記念物(1986年10月31日指定)
撮影年月日 2006年8月22日

注1)2001年3月31日、中田町教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による。いずれも前者が旧名「男杉」(拝殿近くに立つ)、後者が旧名「女杉」(社殿の奥に立つ)のデータ
注3)2005年4月1日、登米・本吉2郡にまたがる9町が大合併して登米市誕生。旧行政区は登米郡中田町





 北上川右岸の高台に、八幡神社が鎮座している。旧村社で、祭神は応神天皇。
 1万坪に及ぶ境内には巨杉老松が繁り、そのうちの9本が旧環境庁資料にリストアップされている。文明2年(1470)建立という拝殿と本殿も趣きがあるし、神社に伝わる上沼加茂流法印神楽は町の無形文化財指定を受けている。要するに、なかなか立派な神社なのである。
 治暦年中(1065〜69)、源義家創建と伝えている。
 略縁起を記した石碑によれば、前九年の役の際、源頼義・義家父子率いる蝦夷征討軍は、日高見川(現在の北上川)を北上し、ここ八幡山に布陣した。八幡神を勧請し、戦勝を祈願したところ、ついに勝利を得ることが出来た。よって武具を納め、社地を寄進した。境内の姥杉2本も、義家の手植えという(それが樹齢伝承の根拠のようだ)。
 姥杉と呼ばれるようになったのは、古いことではないらしい。2004年12月に中田町教育委員会が設置した案内板によれば、安永3年(1774)の「風土記御用書出」には「男杉」「女杉」として記されているようだ。いずれも「廻り一丈五尺」とある。メートルに換算すれば4.5m。
 その後、旧環境庁調査が実施された平成元年(1989)までの約200年間に、男杉は1.0m、女杉は1.5m太ったことになる。現況を見る限りの判断では、この違いは、生育する環境の差だと思われる。300年前に遡れば、男杉の方が巨体であったとも予想される。「姥杉」の名は、男杉の方が小さくなってしまったことを嫌って名付けられたのだろうか。
 近年、樹勢が衰えてきたため、1千万円以上の費用をかけて、樹木医による治療が行われた。男杉は2001年、女杉は2004年に治療を終えた。
 それが功を奏したと見え、訪問時には、2本とも元気な様子だった。
 
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