ページタイトル:村雨のマツ ロゴ:人里の巨木たち

画像:村雨のマツ_1
村雨のマツのすぐ南に架かる両津橋には、大漁を祈願して制作された一対のブロンズ像が設置されている(旧両津市出身の彫刻家、親松英治氏作「いさりび」)
その一体の背後に村雨のマツを見る
画像:村雨のマツ_2
名称 村雨のマツ (むらさめのまつ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 クロマツ
樹高 16m(注2)
目通り幹囲 6.0m(注2)
推定樹齢 300年以上(注2)
所在地の地名 新潟県佐渡市両津夷(注3)
 〃 3次メッシュコード 5738−03−95
 〃 緯度・経度 北緯38度04分59.2秒
           東経138度26分05.4秒
新潟県指定天然記念物(1956年3月23日指定)
撮影年月日 2014年10月18日(上写真)
        2014年10月19日(下写真)

注1)新潟県教育委員会と佐渡市教育委員会が連名で設置(設置年月不詳)。天然記念物指定名称もこれに同じ
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注3)2004年3月1日、佐渡島内の全市町村が合併して佐渡市誕生。旧行政区は両津市





 両津湾の奥に加茂湖(かもこ)という汽水湖がある。もともと両津湾の一部だったと思うが、砂州の形成によって海と分離されたのだろう。
 明治37年(1904)、加茂湖沿岸の水害予防と船の往来を可能にするため、砂州の最も狭い場所を選んで全長200mほどの水路を作り、再び加茂湖と海を結んだ。この水路が現在も海への唯一の出口である。
 その水路に架かる両津橋の北詰に、海上保安庁佐渡海上保安署がある。村雨のマツは、その前庭に立っている。
 実は、ここに役所が出来たのはもっと昔。江戸時代には御番所と呼ばれていた。日本開国後は税関となったようだが、人々は「御番所の松」の名で、この大マツに親しんできたようである。両津甚句にも「松になりたや御番所の松に/枯れて落ちても離りゃせぬ」と謡われている。(クロマツの針葉が2葉であることから。「枯れて落ちてもふたばづれ」と謡われることもあるようだ)
 税関署時代、文豪尾崎紅葉(おざきこうよう)が当地を訪ねたことがあるらしい。その折り、この大マツの命名を求められて付けた名が「村雨の松」。松を濡らす波のしぶきを村雨に見立てた命名ということのようだ。
 地上3mほどで二大幹に分かれる双幹のクロマツだが、一方の幹はもう無い。今でも決して樹冠は小さくないだけに、二幹とも健全だった時代には、さぞかし見事な姿をしていたに違いない。
 2014年10月現在、新潟県内では最大のマツである。
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