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向山神社境内(参道の下から社殿を見る) |
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名称 向山神社の壱の杉
(むこうやまじんじゃのいちのすぎ)
名称の典拠 なし(注1)
樹種 スギ
樹高 30m(注2)
目通り幹囲 7.2m(注2)
推定樹齢 伝承800年(注2)
所在地の地名 宮崎県東臼杵郡椎葉村不土野(神興)
〃 3次メッシュコード 4831−50−83
〃 緯度・経度 北緯32度29分29.8秒
東経131度02分14.1秒
椎葉村指定天然記念物?(注3)
撮影年月日 2011年8月9日
注1)案内板(設置者名・設置年月とも不詳)には単に「壱の杉」とあったが、私のサイトでは神社名を冠した
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)上記案内板には「村指定天然記念物」とあるのだが、椎葉村公式ホームページの文化財リストには載っていない
向山神社はずいぶん山奥の神社である。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。ヤマトタケルは東征を終えて帰郷する際、病を得て客死。その魂が白い鳥となって倭(やまと)に帰ったとされていることから、白鳥と結びつけられることが多い。ここも向山神社と改称する前は、白鳥権現と称していたらしい。
平家の落人伝説もあるようだ。
案内板によれば、ここまで逃れ来た落人が、逃避行に疲れ(?)、もはやこれまでと自決を図るが、向こうの山に落人が隠れ住んでいると聞く。それが、向山(むこうやま)の地名になったとか。それで自死を思いとどまったかどうかについては、何も書かれていない。
それとは別のグループの話だろうか、当地で果てた落人もいたらしい。その霊を、故郷を前に無念の死を遂げたヤマトタケルになぞらえて慰めた。せめて魂だけでも、翼を得て、懐かしい都に帰ることができるように、ということだろう。
それがこの白鳥権現の始まりという。元久元年(1204)のことだそうである。
現在、自動車道は神社の背後を通っている。そこから歩くと、参道を逆向きに下ることになる。
その一番下に、この杉が立っている。本来の向きでは、この杉が最初に目に入ることになるので「壱の杉」かと思っていたが、案内板によれば、一番大きいかららしい。
枝先が大きくしなって下がっている。枝垂れていると言ってもいいかも知れない。枝が片側に偏しているのは、陽光を求めてのことだろう。
なかなか堂々たる姿である。 |
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