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名称 桃原の牡丹杉 (ももはらのぼたんすぎ)
名称の典拠 現地の樹名板(注1)
樹種 スギ
樹高 31m(注2)
目通り幹囲 10.6m(注2)
推定樹齢 伝承1200年(注3)
所在地の地名 高知県長岡郡大豊町桃原
〃 3次メッシュコード 5033−56−70
〃 緯度・経度 北緯33度48分29.5秒
東経133度45分23.1秒
大豊町指定天然記念物(1990年4月22日指定)
撮影年月日 2010年7月25日
注1)天然記念物指定後に設置されたのは確かだが、設置者名、設置年月とも不詳。ただし、正しい指定名称は「桃原の牡丹スギ」
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注3)1988年6月に高知県緑化推進委員会と大豊町が連名で設置した案内板による
このあたり、吉野川は深いV字谷を刻んでいる。両岸は険しく、とても人など住めそうにないと思うのだが、先人はここを切り開いていくつかの集落を作った。桃原もそんな集落の一つである。
集落のはずれに熊野十二所神社がある。天授6年(1380)銘の棟札が現存するという。少なくとも起源が室町時代より下ることのない古い神社である。
「百手(ももて)」という行事も伝えられている。
これは裃(かみしも)装束に身を包み、頭には冠を戴いた射手が、6人ずつ2組に分かれ、交互に的を射るものらしい。口には榊(さかき)の葉をくわえて矢を射るのが作法だというから、何らかの神事なのだろう。
境内の先にその射場があるが、この季節は草丈も高く、少々荒れ気味。的が3つ、無造作に転がっていた。
牡丹杉は、その射場の向こうに立っている。
牡丹杉についても伝説があり、かつて都の巫女17人が捕らえられ、土佐に流された。そのうちの数人は、阿波から京柱峠を越えて土佐に来た。土佐では巫女は熊野信仰に連なる山岳仏教と融合し、織物や薬草の知識を広め、また信仰の地には木を植えた。今から1200年ほど昔のことだという。(上記案内板より)
この牡丹杉も巫女たちが植えたと伝えられている。
この杉は、普通のスギとは葉のつきかたが違う。密集した葉は、遠目にはまるでフェルトを丸めたボールのようだ。
牡丹杉とは、これを牡丹の花に見立てての命名らしい。
また、これを天狗の寝床に見立てることもよくある。全国的には、このようなスギは「天狗杉」と呼ばれることが多いのではなかろうか。 |
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