ページタイトル:雨生ヶ池のブナ 当サイトのシンボルマーク

画像:雨生ヶ池のブナ(幹と並ぶ)

   ↑幹囲4.1m(5.5m) ↓幹囲3.9m

画像:雨生ヶ池のブナB
名称 雨生ヶ池のブナ (まおいがいけのぶな)
名称の典拠 なし
樹種 ブナ
樹高 不明
目通り幹囲 4.1m(5.5m)(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 新潟県三条市葎谷(もぐらだに)(注2)
 〃 3次メッシュコード 5639−11−41
 〃 緯度・経度 北緯37度27分22.0秒
           東経139度08分08.9秒(注3)
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2021年7月31日

注1)「巨木学」の宮誠而氏が提唱するM式を真似て実測。括弧なしは太い方のみを計った値。括弧内は左上図に見える2本をまとめて計った値
注2)2005年5月1日、三条市に合併。旧行政区は南蒲原郡下田村。なお、この位置をピンポイントで指定した場合、グーグル地図やマピオン地図では「葎谷」としているが、「吉ヶ平」との境界とごく近い。もしかしたら「吉ヶ平」なのかも知れない
注3)これは左上図のブナの位置





 かつて越後と会津を結ぶ街道の一つに八十里越(はちじゅうりごえ)があった。その名前について、実際の道のりは八里ほどだが八十里の道を歩くほどに難儀するからという説もあるほど、険阻・狭隘な山道が続く街道だったらしい。
 しかし、物資や人の往来は盛んだったらしく、天保14年(1843)に道路改修運動が起きて、幕府の援助のもと、越後・会津諸藩の協力もあり、空荷なら通れたが荷積みの牛馬は通れなかったと言われた山道の拡幅が成し遂げられたようだ。鉄道や自動車による輸送が主流になる前夜、明治・大正期には往来の全盛期を迎えたという。(平凡社「新潟県の地名」を参考)
 現在、国道289号(注4)が八十里越街道をほぼ辿っているが、かつての街道とは少しルートが違う。
 国境の八十里越の越後側では、いったん田代平まで下った後、再び鞍掛峠(くらかけとうげ)を越える。鞍掛峠を越えた後、今の国道289号は五十嵐川(いからしがわ)の谷へ下るが、かつての街道は守門川(すもんがわ)の谷に下っていた。
 旧街道が谷に下りきったところが吉ヶ平(よしがひら)である。吉ヶ平は、会津から越後に向かうときは八十里越の難所の終わり、逆に越後から会津へ向かう時は難所が始まる場所ということになる。吉ヶ平は街道の要所であった。
 吉ヶ平にはもちろん集落があったが、人馬の往来が絶え、山仕事で生計を立てることも難しくなって、昭和45年(1970)の集団離村を最後に集落はなくなった。現在は分校の建物を改築した吉ヶ平山荘が残るのみ。(名前は山荘だが、自動車で行ける)
 吉ヶ平山荘から直線距離で1.5kmほどのところに雨生ヶ池がある。名前の読み方が定まっていないようで、標題では吉ヶ平山荘でいただいたトレッキングマップ(三条市制作)に従って「まおいがいけ」と読んだが、「まごいがいけ」と呼ばれることもあるようだ。
 雨生ヶ池の北側、布倉越の先にブナ林が広がる。
 吉ヶ平では炭焼きも行われていたというが、ここまで材料を採りに来ることはなかったようだ。ここのブナにはアガリコ樹形が見られず、みな美しい姿をしている。
 そのなかで特に大きいブナを2本、左図に示した。
 ただし、ブナはこのあたりでごく普通に目にする樹種である。このブナ林の周辺には、もっと大きい個体が潜んでいるのかも知れない。

注4)訪問時現在、県境付近はいわゆる「点線国道」だが、国と新潟県が施工する区間については2026年開通を目指して工事進行中。福島県が施工する区間については開通見通し時期は発表されていない 
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