ページタイトル:黒丸河内神社のスギ 当サイトのシンボル

画像:黒丸河内神社のスギ(幹と並ぶ)


画像:黒丸河内神社のスギとコウヤマキ
名称 黒丸河内神社のスギ
    (くろまるかわうちじんじゃのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 40m(注1)
目通り幹囲 7.1m(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 高知県土佐郡土佐町瀬戸(黒丸)
 〃 3次メッシュコード 5033−43−63
 〃 緯度・経度 北緯33度43分20秒
           東経133度24分53秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2010年7月26日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による





 黒丸集落の東に少し離れて河内神社が鎮座する。ここもかつては車道の通じていなかった神社だ。
 自動車の時代はごく近年になってからだから、車道がないのは不思議でない。しかし、まったくの私見だが、これには神様と庶民の間の綱引きが関わっている。
 草創期の神社は、まさに神のためのものであった。自然の造形であったり、自然現象であったり、人間の能力を遙かに超える何者かを見せつけられて、その大きな力が自分たちに向けられないよう、また自分たちに利益をもたらすよう敬った。そのように「大いなるもの」が人が住む場所に在ることは滅多になかった。
 しかし、潅漑事業で水を得るなど人間の力でできることが増え、季節の変化も自分たちで捉えられるようになると、相対的に神の力は弱まる。
 山深い地に鎮座する神の場所に出向くのは大変だ。人々は、祭事や参詣の利便のため、神様を里に呼び寄せた。殆どの庶民にとっては、神様は里宮で十分だったのだ。(たとえば女人禁制など、不浄を嫌って一般人を近寄らせないため本宮に参れないことも関係があっただろうが、それが主たる要因ではあるまい)
 里にあることで、大規模な社殿の建築も出来る。献納物の運搬も容易だ。
 この線を延長すると、自動車の時代には、車道があると便利だということになる。事実、多くの神社では、石段の主参道のほかに、自動車用の迂回参道が設けられている。
 そんなわけで、土佐町に車道のない立派な神社が多いことは、軽い驚きだった。車道がないのは、もちろん急傾斜地が多いことも関係しているだろう。そして、そのような場所で、立派な社殿を維持して行くことは大変な苦労だったと思われる。
 さて、余談が長くなったが、冒頭に「かつては」と書いたのは、現在、車道を建設中だからである。訪問時の状況は、2輪駆動のセダンではちょっと厳しそうだったので、私は徒歩で車道を進んだ。道は神社の背後から下ってくる感じになる。
 大杉は社殿のすぐ横。傍らに立つ2本の木とともに、根が複雑に入り組んでいる。
 その傍らの2本(上図、右の2本)だが、これはスギではなくコウヤマキである。環境庁資料に3.8mと3.0mとあるのがこれだろう。樹肌を見ただけでは区別がつかなかったが。
 
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