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名称 神柱公園のケヤキ
(かんばしらこうえんのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 12m(注1)
目通り幹囲 5.3m(注1)
推定樹齢 100〜199年(注1)
所在地の地名 宮崎県都城市小松原町
〃 3次メッシュコード 4731−40−75
〃 緯度・経度 北緯31度43分55.3秒
東経131度04分14.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2012年8月4日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
JR都城駅の南南西約600m。神柱神社の西にある公園の一角に、このケヤキが立つ。
小雨降る夕方、公園を訪ねた。駐車場には車がちらほら。土曜ではあったが、天候といい、時間といい、公園を訪ねる人はあまりいないようだ。(駐車場は、少し離れた場所にある。下図に車が見えるが、これは後述のように、作業のための特別の車であって、一般車はここまで入ることは出来ない)
樹齢が若いにもかかわらず、背が低いのは、途中から多数の支幹に分かれる樹形による。分岐点を要(かなめ)に、扇を広げたような姿だ。
公園内に、「都城空襲犠牲者追悼碑」があった。背面には、88名の犠牲者の名前と年齢が刻まれている。
数えてみると、そのうち16歳以下が40名。自身に起因する理由などまったく無しに、一瞬にして将来を失ってしまったのだ。改めて、痛ましい思いに身を包まれた。
その頃、都城には飛行機工場と、3つの飛行場があったらしい。昭和20年3月18日早朝に始まった空襲は、終戦までに20回余を数えた。
8月6日の大空襲は特にひどかったらしく、焼夷弾投下によって引き起こされた火災が市街中心部に広がり、52名の生命を奪ったという。
訪ねたのは8月4日。その2日前だ。ケヤキの近くでは、市がテントなどの準備をしていた。慰霊の行事があるのだろうか。
この年は、戦後67年。時は経ったが、不戦の決意は失いたくないと思う。 |
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