ページタイトル:神谷のプラタナス 当サイトのシンボルマーク

画像:神谷のプラタナス 名称 神谷のプラタナス (かみやのぷらたなす)
名称の典拠 なし
樹種 モミジバスズカケノキ
樹高 24m(注1)
目通り幹囲 4.4m(注2)
推定樹齢 120〜130年(注3)
所在地の地名 新潟県長岡市神谷(注4)
 〃 3次メッシュコード 5638−06−74
 〃 緯度・経度 北緯37度24分09.1秒
           東経138度48分02.4秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2021年9月7日

注1)「Forest & Tree」による
注2)土盛り上面から1.3mの高さで幹囲を実測
注3)明治30年代(1897〜1906)に苗木を植えたとされている。何年生の苗を植えたのかがわからないが、今の樹齢を概算するとこれくらいだろうか。
注4)2005年4月1日、長岡市に合併。旧行政区は三島郡越路町





 越路(こしじ)小学校の北東約400m。須川(すがわ)右岸に神谷中央公園があり、道を1本挟んでその東側に左図のプラタナスが立つ。
 案内板(設置者名・設置年月とも不詳)によれば、ここは当地神谷の偉人高橋九郎(1850〜1922)翁が造った試験果樹園跡らしい。
 翁は、新しい農業形態による模範村の建設を目指していたという。
 試みは多方面にわたり、その一部を紹介すると、果樹園では区画ごとにアンズ・カキ・サクランボ・ウメ・モモ・ナシ・スモモ・イチゴの苗を植え、当地の気候に合うものを見つけようとした。また、農業には晴雨・寒暖・風力を予知することが必要と考え、明治39年(1906)から、冬期を除く毎日、新潟測候所と電報連絡を取り、果樹園内の旗揚塔に気象旗を揚げることで翌日の天気を周辺に知らせた。神谷信用組合を設立するなど経済的側面についても忘れなかった。
 プラタナスは果樹園のシンボルとして植えられたようだ。当時まだ珍しかったプラタナスを、新しい時代の象徴と考えたのかも知れない。
 果樹園の入口を入って左右対称な位置にそれぞれ一本ずつ、計2本植えられたようだが、今は向かって右の1本のみ。左の一本は、戦争さなかの昭和18年(1943)、西側の田(現在の神谷中央公園)が天皇の献穀田に指定された際、日陰になるからと伐採されたという。
 プラタナスが立つのは献穀田の東側。そこそこ距離もある。一日のうち、どれだけ日陰になるというのだろうか。あるいは伐らずに樹高を低くすることも出来ただろうに。
 現人神(あらひとがみ)も戦争も知らない時代の能天気人間からは、残念に思えてならない。
ボタン:新潟県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る