ページタイトル:上城のモミ 当サイトのシンボルマーク

画像:上城のモミ 名称 上城のモミ (かみじょうのもみ)
名称の典拠 なし
樹種 モミ
樹高 20m(注1)
目通り幹囲 5.3m(注1)
推定樹齢 350年(注1)
所在地の地名 秋田県大館市十二所字上城
 〃 3次メッシュコード 6040−25−54
 〃 緯度・経度 北緯40度12分57.2秒
           東経140度40分20.2秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2019年5月14日

注1)秋田県緑化推進委員会「秋田の巨樹・古木」による





 米代川(よねしろがわ)左岸、JR十二所(じゅうにしょ)駅の東北東約400m。左図のモミは、市道三叉路の角に立つ屋敷木だ。
 上記「秋田の巨樹・古木」は、これまでの所有者の変遷を伝えている。
 伝承によると、このモミを植えたのは久保田藩(秋田藩)の給人(きゅうにん、きゅうじん)野内氏。(注2)
 その後、寛政5年(1793)には、この地に郷校が作られ、モミは郷校の所有となった。同10年(1798)、郷校は成章書院(せいしょうしょいん)と命名。(注3)
 その成章書院から、月居氏の所有を経て、現在の所有者の手に渡ったのは、明治以降ということである。
 モミは少々窮屈な場所に立ち、幹の途中で複数幹に分かれて、やや道路側に身を乗り出している。
 江戸時代に比べ、周囲の市街化が進んだのだろう。今は、意外な環境に意外な巨木が立つ印象。
 当然、その巨体は道路からよく見える。

注2)給人は藩士の家格の一つ。家格としては「上の下」(Wikipediaによる)
注3)現在、市道を挟んで反対側に位置する公民館のところが「成章書院之趾」とされているようだが、当時はここまで敷地が広がっていたのだろうか? 
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