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名称 十輪寺の樅の木 (じゅうりんじのもみのき)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 モミ
樹高 20m(注1) 実際はもっと低い
目通り幹囲 5.4m(注1)
推定樹齢 200〜299年(注1)
所在地の地名 宮崎県都城市山之口町山之口(麓)(注2)
〃 3次メッシュコード 4731−51−53
〃 緯度・経度 北緯31度48分00.8秒
東経131度10分13.8秒
都城市指定天然記念物(1986年3月7日指定)
撮影年月日 2012年8月3日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注2)2006年1月1日、都城市に合併。旧行政区は北諸県郡山之口町
名前は「十輪寺の樅の木」だが、現在、ここに寺はない。寺の名を受け継いだモミだけが立つ。
かなり大きくなってから主幹を失ったらしく、太い幹が、途中で突然途絶えている。遠望すると、まるで「傘松」とでも呼びたくなるような樹形だ。
案内板には、寛文9年(1669)に、高木村にあった拾輪寺をここに移し、鹿児島の福昌寺34世特峯代英が開山となって、福昌寺の末寺とした、とある。
一方で、墓石のなかには、1646年に没した山之口地頭伊集院氏の墓などもあるという。移転以前から既に何らかの寺はあったのか、あるいは(考えにくいことだが)、移転に伴って墓も移したのか。案内板を読んでも、どうもよく分からない。(1976年建立の「十輪寺墓地建設碑」では、寺の移転は、ここが薩摩藩直轄地となった元和(1615〜24)の頃でないかと推測している)
十輪寺がどんな寺かについての説明はあるが、何故その寺がここにないのか、についても大きな要点だと思うのだが、それに関する記述はない。いまいち要領を得ない案内板だった。
とにかく、現在、十輪寺はない。明治の廃仏毀釈で失われたのだろうか。
墓地だけ残った、というか、寺の跡地を利用して墓地を新しく築いたという印象で、墓石はみな新しい。
古い墓石の方は、モミの木の近くに集められている。モミを十輪寺の忘れ形見と考えたのだろう。
集められた方でも、居心地が良さそうに収まっているように思われた。 |
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