|
|||||
名称 伊甘神社のムクノキ (いかんじんじゃのむくのき) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 ムクノキ 樹高 18m(注2) 目通り幹囲 5.3m(注2) 推定樹齢 300年以上(注2) 所在地の地名 島根県浜田市下府町(しもこうちょう) 〃 3次メッシュコード 5232−30−19 〃 緯度・経度 北緯34度55分47.8秒 東経132度06分38.1秒 浜田市指定天然記念物(1973年5月1日指定) 撮影年月日 2011年8月20日 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による 伊甘神社の祭神は天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)。石見地方開拓に関わる「小野族」の遠祖だという。古くから続く神社で、延喜式神名帳に名が載る式内社である。「日本三代実録」(901)にも貞観11年(861)として伊甘神の名が挙がっているそうだ(案内板より)。 海に近く、JR山陰本線下府駅の北250mほどに鎮座している。 ところで、町名や駅名となっている下府だが、「しもこう」と読む。浅学にして、「府」を「こう」と読むのは他に知らないが、「国府」を「こう」と読む例はある。ここは、石見国府があったと推定される場所の一つらしい。 伊甘神社に関しても、鎮座地の字名が御所であり、また寛文9年(1669)銘の「印鑰大明神」の棟札が現存するらしい。 「印鑰」とは、律令制度の時代、租税を徴収する地方官に朝廷から交付された、正当な徴税者である証(印)と、穀倉の鍵(鑰)のことである。地方のトップにとっては、この上なく大切なものであった。律令制度が廃されてのち、これらを祀って神社が作られることがあったらしい(熊本県八代市の印鑰神社で知った)。 この話も、ここが国府であった可能性を思わせる。 昭和53年(1978)、県教育委員会が発掘調査を行った。古墳時代中頃の祭祀跡や奈良時代以降の柱跡が発見されたが、ここが国府跡だと確認することはできなかったということである(これも案内板より)。 前段が長くなってしまった。これらはみな、ムクノキが生を受けるより、ずっと前の話である。 大ムクノキは、社殿の右方(向かって左)に立ち、大きな樹冠を広げている。 根に至る縦長の空洞が口を開いているが、樹勢は良好そうだ。 |
|||||