ページタイトル:銀杏山神社のイチョウ サイトのシンボル

画像:銀杏山神社のイチョウ(「乳柱」)
 「乳柱」のイチョウ ↑

画像:銀杏山神社のイチョウ(連理部分)
 「連理」のイチョウ ↑↓
画像:銀杏山神社のイチョウ(「連理」)
名称 銀杏山神社のイチョウ
    (いちょうさんじんじゃのいちょう)
名称の典拠 なし
樹種 イチョウ
樹高 28m(乳柱)/26m+28m(連理)(注1)
目通り幹囲 8.4m(乳柱)
        5.5m+5.1m(連理)(注1)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 秋田県能代市二ツ井町仁鮒字坊中(注2)
 
〃 3次メッシュコード 6040−21−39
 
〃 緯度・経度 北緯40度12分01.7秒
           東経140度14分29.4秒(乳柱)
           北緯40度12分02.4秒
           東経140度14分30.4秒(連理)
秋田県指定天然記念物(1955年1月24日指定)
撮影年月日 2007年8月8日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による
注2)2006年3月21日、能代市に合併。旧行政区は山本郡二ツ井町





 旧二ツ井町役場から、米代川に架かる銀杏橋を渡って銀杏山神社に向かう。神社には秋田県指定天然記念物のイチョウが計3本立っている。
 車を降り、参詣を済ませてから、拝殿手前の小道を左手に下る。すると、まず上図の大イチョウが迎えてくれる。
 標柱には「いちょう(乳柱)」とある。これが、境内では最大のイチョウである。
 「もとめ木」の名で呼ばれることもあるという。イチョウに求めるものは、豊かな母乳である。粉ミルクがなかった時代には、母乳をたくさん飲めるかどうかで、生まれた子の健康が左右されることもあった。母親にとって、切実な願いだったのだ。
 乳の出が悪い母親は、願いを書いた紙を枝に結びつけ、白い布で作った袋を掛けると、乳が出ると信じられていた。藩主佐竹侯の奥方も祈願して、願いが叶えられたことから、銀杏山神社は佐竹家の家紋の使用を許されたという。(案内板を要約)
 小道をもう少し進むと、「いちょう(連理)」の横に出る。
 並び立つ幹囲5mほどの2本が、根元近くに出た1本の横枝で癒着している。2本の間には少し空間があり、小さな祠がある。
 2本は男イチョウと女イチョウと呼ばれているらしい。夫婦和合の象徴なのだろうか。こちらについても伝承がある。
 この2本の周りを、息を止めて「8」の字に3周すると願いが叶うというものだ。(これも案内板による)
 願いの内容についての記述はなかったが、連理のイチョウであることから想像するに、子授け・安産の類の願いだろうか。それとも、想う人に添い遂げられるように、ということだろうか。
 ところで、銀杏山神社について伝えられる由緒は、白鳳9年(658)に安倍比羅夫(あべのひらふ)が当地方の蝦夷征伐に赴いた際、戦勝を祈願して建立した、というものである。
 建立の際に植えられたイチョウがこれらの大イチョウになったと伝えられているともいう。
 けれども、豊富な母乳を望む母親が少なくなったとはいえ、戦さがらみの血なまぐさい話より、子育て祈願の平和な話の方が、今の時代には相応しそうだ。
 
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