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名称 本庄の大樟 (ほんじょうのおおくす) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 クスノキ 樹高 23m(注2) 目通り幹囲 21.0m(注2) 推定樹齢 1900年(注3) 所在地の地名 福岡県築上郡築上町本庄(下本庄)(注4) 〃 3次メッシュコード 5030−37−28 〃 緯度・経度 北緯33度36分22.2秒 東経130度58分54.8秒 国指定天然記念物 (1922年3月8日指定) 撮影年月日 2010年3月20日 |
注1)築城町時代に町が設置。新町名となり、「城」の文字を消して「上」と書き改められた。(ただし、天然記念物指定名称は「本庄のクス」で、案内板とは異なっている) 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による 注3)上記案内板による 注4)2006年1月10日、築上郡内の2町が合併して築上町誕生。旧行政区は築上郡築城町 大正11年(1922)に国天然記念物指定をするにあたっての調査報告書に、「根元ヨリ五尺(=1.5m)ノ高サニ於ケル幹圍(囲)六丈五尺七寸(=17.0m)、根元ノ周圍十丈一尺(=30.3m)蒲生ノ樟ニ亜ケル巨樹ナリ(後略)」とあり、その頃、すでに蒲生の大クスに準じる日本最大級のクスノキとされていたことがわかる。 このクスノキは、実はその遙か以前より、この近くではよく知られる大クスノキだったのである。 昔、この地は伝法寺河内とか桑田滋野河内などと呼ばれていた。その桑田滋野河内二瀬のクスノキの前で、宇佐宮一殿造営の杣始(そまはじめ)神事が行われたことがさまざまな記録に見える。これが、そのクスノキだと考えられているようだ。 「築上郡志」には、この大クスを神木として「大楠の宮」と崇敬されたことが記されている。(平凡社「福岡県の地名」を参考) 講談社「日本の天然記念物」によると、景行天皇が熊襲(くまそ)征伐の途中、この付近の賊を平定したしるしとして、このクスノキを植えたとする伝説もあるようだ。 貝原益軒(1630〜1714)の「豊国紀行」には「朽ちたる所なし」と記されているというが、今はこの通り。幹の片面はすっかり失われている。 案内板によると、もとは空洞を石で塞いでいたというから、空洞の開口部は、石で塞げる程度だったわけだ。 明治34年(1901)、空洞内部で火災が発生した。原因は何だったのだろうか。この火災が主幹を焼き尽くしてしまった。その後、奇跡的に第一枝が生き返り、現在の姿によみがえったという。 写真に見える足場やフェンスは、地面を掘削して根の状況を記録したり、腐朽部分の除去など保護工事が行われているためである。3月25日までに完了の予定らしい。もう1週間ほど遅く来ればよかった。 なお、大火災から奇跡的に蘇生したクスノキにあやかろうということか、このクスノキの葉を懐中に入れておくと、諸災難を免れて長寿が授かるそうである。 |
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