巨樹探訪をはじめたきっかけ
巨木と巨樹とはちがうのか
なぜ写真に人が写っているか
「です」「ます」調でないのは何故か
巨木の存在を知るには
巨木の場所にたどり着くには


 巨樹探訪をはじめたきっかけ


 一目惚れという現象があるが、同じ対象を見ても、惚れる人がいたり、いなかったり。惚れるか惚れないかは、まったく個人的な現象のようだ。しかも、個人の経験や精神状態や思考方法、つまりは全人格に関わるものらしい。
 あるとき、別の目的で移動中に、偶然、蓮花寺の大杉に出会い、そして行塚の大榎に出会った。まったく異質の巨木に続けて出会って、私の心のどこかの琴線が共鳴したらしい。自分自身さえ知らなかった何ものかが、目覚めてしまったのである。
 巨木には、それまでにも何本も出会っていた。しかし、私の目は物体を見る目であった。
 幹をくり抜かれ、自動車がその下を通っているジャイアント・セコイアの絵を、子供の頃に見たことがある。今の自分ならば、「なんと酷いことをするのだろう」と思うが、当時は、文明の力のすばらしさを見た思いだった。巨木は物体に過ぎなかったのである。
 巨木がすばらしい生物であることを、知識としてでなく、感覚として実感したとき、私の巨木探訪が始まった。
 
 

 巨木と巨樹とは違うのか


 「巨樹」という単語は、いままで馴染みのない言葉である。聞き慣れない響きに抵抗感もあったが、しばしば用いているうちに気にならなくなった。
 この語は、旧環境庁の「自然環境保全基礎調査」のうち、「巨樹・巨木林調査」として登場している。その実施要項に、(要約すると)地上から約1.3mの位置での幹の周囲長(これを「目通り」と呼ぶことが多い)が3m以上の樹木を「巨樹」という、と規定している。そして、それらが複数生育していて、並木や樹林などの形態を成しているものを「巨木林」というとしている。

 一般的には巨木も巨樹もたいして変わりがないといってよい。ただ、「巨木」という言葉の語感を省みて、あえて比較すれば、巨木はとにかく大きい木のこと。背が高く、枝を大きく広げて大きな体積を独占する木、という印象が先立つが、「巨樹」では全体の様子を一切省みず、幹の太さだけで規定されている、という点に違いがあると言えよう。
 各地で、もっとも勢いが良く、遠くから目立つ立派な木は、目通り幹囲が2〜3mの、「巨樹」一歩手前の木であることが多い。
 

 なぜ写真に人が写っているか


 己れの技術の未熟を棚に上げて言えば、写真で見ると実際の大きさがどの程度なのか実感しにくいからである。そのような場合、科学的資料としてはメジャーを一緒に写し込むとわかりやすい。どうせ芸術的な写真なんか撮れないんだからと、メジャー代わりに入れてある、というのが理由の一つ。
 もう一つは、巨樹探訪の契機の項でも記したように、巨木に親密の情を示すためである。巨樹探訪に目覚めたときに抱いた感情は、すばらしい生物に対する憧憬と畏怖の念であった。「やったぞ」というような自己中心的なものよりむしろ、すばらしい人格に出会って、自分も感化されたいと感じるような従順な気持に近い。「私をあなたの友人に加えてもらえませんか」という思いである。
 だから、願望を込めてツーショットを撮らせてもらっている。できれば幹に触れたいのだが、柵があって近づけない木が多いのが残念である。
 

 「です」「ます」調でないのは何故か


 本来、ホームページは第三者への開示を目的としたものであり、しかも、書物に比べて双方向的な色彩が強い。ならば、丁寧語を用いるのが普通の感覚なのだと思う。
 しかし、見えない相手に対して、語尾だけ丁寧語に直すのも面倒くさい。もともと巨樹探訪は自分自身のために始めたのであり、コメントは、記憶力の衰えた己れのための、いわば備忘録が変化したものなので、いっそのこと普段通りの文章にしようと考え、このような文体になった。
(せっかく私の拙いホームページを閲覧していただいたのに、ちょっと失礼かな?と後悔することもあるが・・・)
 

 巨木の存在を知るには


 巨樹探訪をはじめた契機は巨木との偶然の出会いだったが、実際にはそうなかなか出会えるものではない。巨樹の多くは、遠目にはそんなに目立たないのである。限られた時間内に、できるだけ多くの巨樹と出会いたいと思ったら、あらかじめ、その存在を知っていることが必要である。
 一番良い方法は、やはり先人から教えてもらうことである。いろいろな探訪記が出版されていて、有用な情報を手に入れることができるが、網羅的なデータを望むなら、旧環境庁から出た「日本の巨樹・巨木林」が一番である。全国を8地区に分けて調査結果が載せられている。
 しかし、難点もある。著名な天然記念物等でもしばしば漏れ落ちていること、所在地がわかりにくいこと、などである。所在地については、同書に掲載されている3次メッシュコード(読みとり方についてはデータの見かた参照)により、およその位置はわかるのだが、私自身、探し当てられなかったことが時々ある。
 インターネット上で調べることもなかなか有力である。八十二文化財団の「長野県の文化財」(その後「信州の文化財検索」に移行)は別格としても、県や市町村の公式ホームページ上で天然記念物の紹介をしている自治体は多い(その後、さまざまな県で、素晴らしい文化財紹介ページが続出している。2009年追記)。また、個人のホームページにも多くの佳作があり、大いに参考にさせていただいた。
 

 巨木の場所にたどり着くには


 所属する神社や寺、公共施設などの名がわかっている場合の巨木探しは比較的容易である。そうでない場合は、ある程度探索範囲を狭め、その中を走り回って目視で見つけることになる。
 それでも見つからなかったらどうするか。土地の人に尋ねることである。そのときは相手を選ぶこと。畑仕事をしている初老の男性が、一番ヒット率が高い。この人たちは生まれたときからその土地に住み、幼少時代に野山を駆け回って、周囲のことは大抵なんでも知っているからである。それに比べ、女性は他所から嫁いできたこと、失礼ながら、関心の及ぶ範囲があまり広くないこと(女性から叱られそうな発言かな)などから、巨木の存在を知らないことが多かった。若者については、さらに自分の住む土地のことを知らないことが多いので、あまり期待できない。
 でも、いずれにしろ、人に道を尋ね、巨木を話題に会話することは楽しい。結構、話が弾むものである。特に農村部ではその感が強い。「あくまでも自力で」などと肩肘張らずに、大いに教えを請うべし、である。
(「あくまでも自力で」派はデータの見かたの緯度・経度の項を参照)
2002.08.01記す