ページタイトル(羽田神社の太郎坊・次郎坊の杉) サイトのシンボル

画像:羽田神社の太郎坊・次郎坊の杉(太郎坊)
 太郎坊(目通り6.9m)

画像:羽田神社の太郎坊・次郎坊の杉(次郎坊)
 次郎坊(目通り6.7m)

画像:羽田神社の太郎坊・次郎坊の杉(遠景)
 太郎坊・次郎坊遠景(右が太郎坊)

画像:羽田神社参道
 石段横の参道(「お山がけ」の道の一部?)
名称 羽田神社の太郎坊・次郎坊の杉 (はだじんじゃのたろうぼう・じろうぼうのすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 46m/44m(注2)
目通り幹囲 6.9m/6.7m(注2)
推定樹齢 伝承800年以上(注3)
所在地の地名 宮城県気仙沼市赤岩上羽田
 〃 3次メッシュコード 5841−24−20
 
〃 緯度・経度 北緯38度51分29.8秒
           東経141度29分57.6秒
宮城県指定天然記念物(1955年3月25日指定)
撮影年月日 2006年8月21日

注1)1996年3月31日に気仙沼市教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 北海道・東北版」による。前者が太郎坊
注3)羽田権現を勧請した尾形三郎惟義(緒方三郎惟良とも)の嫡男小太郎と次男の二人が文治2年(1186)に植えたとする社伝がある。それから計算すればこうなる





 気仙沼市街地の西南西9kmほどのところに熊山(655m)があり、そこから南東に伸びた尾根の先端に羽田山(はだやま、455m)がある。
 神社の創建は古く、奈良時代と伝えている。その後しばらく荒廃した時代があったが、建久3年(1192)に上記尾形三郎が再興、羽田山頂に月山権現を勧請した。
 近世になり、神社は本山派修験白照寺の管掌下となる。明治の神仏分離で、現在の羽田神社となるが、神社に伝わる「お山がけ」には、今も修験時代の面影が残っていると私には思われる。
 「お山がけ」(国の重要無形民俗文化財、2000年12月27日指定)は、旧暦8月15〜16日、7歳になった男児が、健康に成長することを祈って、羽田山頂に鎮座する奥宮に参詣する行事である。
 白い浄衣に鉢巻き姿の7歳児が、祓川で身を清め、新しい竹の杖を頼りに険しい山道を廻ってくるのである。甘えの心が起きぬよう、父親の同行は禁じられている。女人禁制だから、もちろん母親もだめ。(ただし父でなければ、祖父や叔父などはOKらしい)
 無事下山後は、家族・親戚そろって祝いの宴を囲むのだそうである。
 また、旧暦9月29日(2006年は11月19日)の例大祭に行われる神輿渡御も有名だ。
 神山川(かみやまがわ)源流に位置する山間のこの地から、気仙沼港入口の神明崎に鎮座する五十鈴神社まで往復するものである。早朝から日没後まで、延々12時間もの間、150キロの御輿を担ぐことが求められたという。(近年は交通規制の都合で、車を使用するようになったようだ)
 これは「浜下り神事」「潮垢離」とも呼ばれ、是非とも港まで行かねばならぬものである。気仙沼が漁業の町であることと無関係ではあるまい。
 大杉の話が遅くなった。
 太郎坊・次郎坊2本の大杉は、拝殿の左右に、ちょっと間をおいて立っている。いずれ劣らぬ立派な体格で、甲乙つけがたい。器量よしでもある。
 実は、太郎坊(次郎坊)は坊舎の名で、そこに所属する杉という意味だと思っていた。が、案内板の文面を見ると、そうではないようだ。
 太郎坊、次郎坊はスギそのものの名なのである。余所では太郎杉、次郎杉と呼ぶものを、ここでは太郎坊、次郎坊と呼んでいるのだ。(だから、標記の天然記念物指定名称は少々おかしい)
 平成15年(2003)5月26日、三陸南地震が発生し、神社にも大きな被害があった。境内の一部が崩落し、石段が使えなくなった。
 訪問したときには、既に立派な石段に修復されていた。ステンレスの手摺りも、老年者には嬉しい。数えたら全部で189段あった。
 なお、一般参詣者は石段の上まで。そこから先は「お山がけ」以外、登山禁止なので、要注意。(太郎坊・次郎坊までは大丈夫)
 
ボタン:宮城県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る