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「ロマンの碑」 |
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名称 五行橋のエノキ (ごぎょうはしのえのき)
名称の典拠 なし
樹種 エノキ
樹高 不明
目通り幹囲 4.7m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 栃木県芳賀郡芳賀町東高橋
〃 3次メッシュコード 5440−60−23
〃 緯度・経度 北緯36度31分10.5秒
東経140度02分15.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2013年11月5日
注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による
訪ねたい木はたくさんあるのだが、あれもこれも探訪予定に含めてしまうと、さっぱり先に進めないことになる。それで、計画を立てるときには、自分なりに基準を定めて立案することにしている。
私なりの基準では幹囲5m未満のエノキは除外されることになるので、このエノキも当然探訪計画に無かった。
では何故、紹介することにしたかというと、たまたまルート上にあったこと。夭折の天才画家青木繁の「ロマンの碑」が傍らにあること。そしてなによりも、この樹形に魅力を感じたからである。柔道の言葉を借りれば、「合わせて一本」というところ。
エノキの話に移ろう。
小貝川の支流五行川(ごぎょうがわ)に架かる国道123号五行橋の近くに立っている。
立ち上がってすぐ2幹に分かれ、そのあと2本は寄り添っているようにも、複雑に絡み合っているようにも見える。ついに戸籍上の家族になることがなかった青木繁と福田たねの二人を連想させる。
実は、国道を挟んだ向かい側に、福田たねの生家があり、呉服商を営んでいた。(青木繁の有名な作品「海の幸」で、サメを担ぐ人物群像中、一人だけこちらを見ている若者がいる。この顔のモデルが福田たねだという)
明治39年(1906)12月から4ヶ月ほど、繁とたね、そして生まれたばかりの二人の子幸彦がたねの実家に滞在したことがあった。そんなことからこの家族を記念する「ロマンの碑」がここに建てられたのだろう。(その間、当地の黒崎家の一室を借りて制作された「わだつみのいろこの宮」は国指定重要文化財。たねはこの作品にもモデルとして登場する)
明治40年(1907)3月、繁は「わだつみのいろこの宮」を持って上京。間もなく、父危篤の報を受けて福岡県久留米の実家に帰郷する。結局、この上京が二人の最後の別れとなった。(「ロマンの碑」案内板より)
エノキをじっと見ていたら、二人の起伏多き人生と、この樹形がどこかで重なるようにも思えてきた。 |
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