ページタイトル:福米沢熊野神社のケヤキ 当サイトのシンボルマーク

画像:福米沢熊野神社のケヤキ 名称 福米沢熊野神社のケヤキ
    (ふくめざわくまのじんじゃのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 28m(注1)
目通り幹囲 5.7m(注1)
推定樹齢 300年(注1)
所在地の地名 秋田県男鹿市福米沢(ふくめざわ)字福米(ふくめ)(注2)
 〃 3次メッシュコード 5939−77−84
 〃 緯度・経度 北緯39度59分37.2秒
           東経139度55分39.6秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2019年5月15日

注1)秋田県緑化推進委員会刊「秋田の巨樹・古木」による
注2)2005年3月22日、男鹿市に合併。旧行政区は南秋田郡若美町





 かつて八郎潟は琵琶湖に次いで全国第二の広大な面積を持つ湖だったが、食糧増産時代に大部分が埋め立てられ、農地に変わった。
 失われた八郎潟の西岸に沿って通る男鹿街道の途中に福米沢集落がある。熊野神社は集落のなかほど、山寄り。潟西中学校からは南南西に500mほどの位置。
 秋田県神社庁の神社紹介ページによると、安永9年(1780)10月28日の創立で、祭神は伊邪那美神(いざなみのかみ)ほか3柱とのこと。
 ただし、当地を訪ねた菅江真澄(1754〜1829)が『福米沢に三熊野をまつった古い社がある。そこで元日の朝から採燈(柴燈)をたいて深夜、油麻餅を投げる優婆塞(修験)の神事がある』(「菅江真澄の道」標柱側面の文を転記)と書いているそうだから、神社は安永9年より昔からあった可能性もあるのではないだろうか。
 所蔵の幡(ばん)が男鹿市から文化財指定を受けている。幡とは、仏堂に吊り下げて堂内を飾る装飾品の一種。「熊野山大権現 瀧本千日籠 花厳坊」の刻銘があるらしい。明治以前は神仏混淆の仏堂だったと思われる。この幡も、安永より古く、室町時代の作と推測されているようだ。
 参道石段下の赤い鳥居の手前から左に進む小道がある。左図のケヤキはその小道の先。
 男鹿市から保存樹指定を受けている。
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