ページタイトル:文挟二荒山神社の大杉 当サイトのシンボルマーク

画像:文挟二荒山神社の大杉(幹と並ぶ) 名称 文挟二荒山神社の大杉
    (ふばさみふたらさんじんじゃのおすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 不明
目通り幹囲 7.4m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 栃木県日光市文挟町(注2)
 〃 3次メッシュコード 5439−75−68
 〃 緯度・経度 北緯36度38分36.6秒
           東経139度43分29.4秒
国指定特別天然記念物(1956年10月31日指定)(注3)
撮影年月日 2019年4月7日

注1)高地側の地表面から1.3mの高さにおける幹囲を実測
注2)2006年3月20日、日光市に合併。旧行政区名は今市市
注3)この大杉は特別天然記念物「日光杉並木街道附並木寄進碑」のなかの1本





 鹿沼から日光まで、JR日光線に沿って、かつての日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)が延びる。(文挟町付近では、例幣使街道は現在の国道121号(同352号と重複)に一致する)
 街道沿いに立派な杉並木が続き、国から特別史跡と特別天然記念物のダブル指定を受けている。
 この大杉もそのなかの1本。JR文挟(ふばさみ)駅の北方700mほどのところ。
 隣に二荒山神社が鎮座するので、こう呼ぶと位置がわかりやすいかと思い、標記のように名付けさせてもらったが、多分、この大杉は東照宮の管理下にある。
 大杉の近くには日光市指定文化財の郷倉もある。
 度重なる飢饉で多数の餓死者が出たことを教訓に、村民が共同で郷倉を建て、飢饉に備えて貯穀をした。これもその一つで、江戸時代末期に栗材で建てられたもの。当時の稗(ひえ)も残っているそうである。(案内板による)
 時代劇に出てくる江戸時代は、とかく悪代官や悪徳商人ばかりが登場するが、ちゃんと助け合いの精神もあったし、飢饉でなければ、蓄えるだけの余裕もあったのだ。身分差別はいただけないものの、戦争もなかったことだし、徳川の世もそれほど悪い社会ではなかったように思われる。
 話が大杉から逸れすぎてしまったようだ。
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