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名称 茶屋ヶ原のタブノキ
(ちゃやがはらのたぶのき)
名称の典拠 なし
樹種 タブノキ
樹高 16m(注1)
目通り幹囲 5.4m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 新潟県上越市茶屋ヶ原
〃 3次メッシュコード 5538−51−90
〃 緯度・経度 北緯37度09分58.4秒
東経138度07分33.8秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2013年10月1日
注1)環境省巨樹データベース(2000年フォローアップ調査)による
北アルプスが直接日本海に落ち込む親不知(おやしらず)ほどではないにしろ、有間川と名立の間も、妙高連山から海岸まで山々が続き、国道8号から見える景色は海面と山裾の急斜面のみ。その上に台地があって、水田も集落もあるとは想像できないのでなかろうか。
その台地上の集落が茶屋ヶ原である。
今のように土木工事が容易でなかった時代、街道もこの台地上を通っていた。
タブノキは集落の東端、青木家のお庭に立つ。
これについては次のような話が伝わる。(庭内の石碑より)
明治11年(1878)9月25日、北陸巡幸の途次、明治天皇がここで休憩を取った。
ここを休憩所としたのは、青木家が当地に於ける名家であったことはもちろんだろうが、順徳上皇に因む伝承も理由の一つであった可能性がある。
承久3年(1221)、佐渡配流となった順徳上皇がこの地を通過する際、当地の日の入(ひのいり)城主城基知が供奉を申し出た。しかし、遷幸の身ゆえと許さず、代わりに記念として屋敷の四隅に青木(タブノキ)を植え、姓も青木と改めるようにとのお言葉があったという。
明治天皇は、随伴する者からそんな謂われを聞きながら、このタブノキをご覧になったことであろう。
順徳上皇の件は、タブノキの樹齢から見てどうかと思うが、明治天皇の休所になったことは事実である。 |
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