ページタイトル:菩提寺のイチョウ 当サイトのシンボル

画像:菩提寺のイチョウ(幹と並ぶ)

画像:菩提寺のイチョウ(乳柱)

画像:菩提寺のイチョウ
名称 菩提寺のイチョウ (ぼだいじのいちょう)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 イチョウ
樹高 42m(注1)
目通り幹囲 13.5m(注1)
推定樹齢 900年(注2)
所在地の地名 岡山県勝田郡奈義町高円(こうえん)
 〃 3次メッシュコード 5234−51−86
 〃 緯度・経度 北緯35度09分22.1秒
           東経134度12分13.6秒
国指定天然記念物(1928年1月18日指定)
撮影年月日 2010年8月21日


注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 中国・四国版」による
注2)奈義町教育委員会が設置した案内板(設置年月不詳)による





 鳥取県との県境上に聳える那岐山(なぎさん。標高1255m)の南東2.5kmほどの中腹に、ちょうど氷河地形のカールの底のように、三方を山に囲まれた緩勾配の部分がある。
 不思議な地形である。まるで人知を超える何者かが、山の一部をすくい取って造ったようだ。と、そんなことを昔の人も感じたのだろうか。7世紀の末頃、役行者がここに菩提寺を築いたと伝えられている。
 盛時には七堂伽藍三十六坊を擁する大寺院であったという。しかし、康安元年(1361)、伯耆守護山名時氏(やまなときうじ)の焼き討ちにあって、全山灰燼に帰した。その後数百年の草堂時代を経て再建された伽藍は、大寺からはほど遠いものである。
 高貴山菩提寺が有名なのは、浄土宗開祖法然が、当時菩提寺の院主であった叔父観覚上人の下で、9歳から13歳までを過ごした寺だからだ。
 法然は幼名を勢至丸といった。父漆間時国(うるまときくに)は美作国久米の押領使だったが、勢至丸が数え9歳の保延7年(1141)、夜討ちにあって死亡。死の間際の遺言によって仇討ちを断念した勢至丸は、叔父に身柄を託されたのだった。
 4年後、叔父の勧めで比叡山に上ることになるが、菩提寺は、いわば僧法然の基礎をつくった寺なのである。
 この大イチョウも、法然が学問成就を祈願して、地に挿した杖が根づいたとされている。
 幹が太く、背も高く、樹勢も良い。素晴らしい大イチョウである。
 大きさもさることながら、気根(乳柱)の発達が素晴らしい。最大のものは長さ2.4m、太さは1.7mもある。
 講談社「日本の天然記念物」によれば、この地方では、この下垂物を、すりこぎの方言である「連木(れんぎ)」と呼ぶらしい。なるほど。似ていなくもない。
 岡山県最大のイチョウである。
 
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