ページタイトル:天水越松苧社のスギ ロゴ:人里の巨木たち

画像:天水越松苧社のスギ 名称 天水越松苧社のスギ
    (あまみずこしまつおしゃのすぎ)
名称の典拠 なし
樹種 スギ
樹高 25m(注1)
目通り幹囲 5.2m(注2)
推定樹齢 300年以上(注1)
所在地の地名 新潟県十日町市松之山天水越(注3)
 〃 3次メッシュコード 5538−44−68
 〃 緯度・経度 北緯37度03分19.4秒
           東経138度35分52.7秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2014年9月3日

注1)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による
注2)高地側の地表面から1.3mの高さにおける幹囲を実測
注3)2005年4月1日、十日町市に合併。旧行政区は東頸城郡松之山町





 平成25年(2013)3月に廃校となった松里小学校の近くに管領塚(かんれいづか)がある。
 戦国時代の内乱で、守護代長尾為景(ながおためかげ、上杉謙信の父)に敗れた越後国守護上杉房能(うえすぎふさよし)が、永正4年(1507)8月7日(現行暦では9月13日)、ここで自刃したと伝えられている。
 老婆心ながら蛇足を加えると、管領塚の「管領」とは、室町幕府が設置した役職である関東管領(かんとうかんれい)のことである。上杉家が代々関東管領職を継いだため、上杉房能の遺跡がそのように名付けられたのだろうが、実を言えば、当時の関東管領は房能ではなく、その兄、上杉顕定(うえすぎあきさだ)であった。(その顕定も永正7年(1510)、現南魚沼市の長森原で戦さに敗れて自刃。そこにも管領塚がある)
 松苧社は管領塚の南方約300m。国道405号の北。
 境内に2本の大杉があり、鳥居近くに立つ方がやや大きい。
 旧環境庁の1988年調査値は464cmであるが、私の実測値は523cmであった。
 今も盛んに成長を続けていると思われる。
ボタン:新潟県(中越)の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る