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名称 赤田城本丸跡のケヤキ
(あかたじょうほんまるあとのけやき)
名称の典拠 なし
樹種 ケヤキ
樹高 不明
目通り幹囲 5m(注1)
推定樹齢 不明
所在地の地名 新潟県刈羽郡刈羽村赤田北方
〃 3次メッシュコード 5638−05−92
〃 緯度・経度 北緯37度24分44秒
東経138度39分15秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2014年10月8日
注1)まったくの目分量
上杉謙信の奉行の一人に斎藤朝信(さいとうとものぶ)がいる。体格は小柄で隻眼だったようだが、「越後の鍾馗(しょうき)」の異名をとるほどの武勇の士であるとともに、知略にも長け、また内政にも精通しており、謙信から厚い信頼を得ていたという。
その斎藤朝信の居城が赤田城である。
国道8号赤田トンネルから西北西に延びる尾根の先に、標高164mのピークがある。そこに赤田城の本丸があった。
現在、赤田城址は村指定史跡とされ、立派な遊歩道が整備されている。(上記尾根の南麓に沿って進んで行くと、遊歩道の入口があり、その近くには無料駐車場もある) 駐車場から本丸跡までは、登りおよそ30分。
本丸平面の端に左図の大ケヤキが立つ。
立ち上がってすぐに、大きく5幹に分かれている。従って、一本ずつを見ればそれほどの太さではなく、遠望した時はこれほどの大きさとは思わなかった。
環境省の要項どおり、地上1.3mの高さで幹囲を測ろうとすると、幹の分岐部分を測ることになり、5mよりかなり大きそうだ。一方、根元部分は、5mまでない。上記データは、中をとって5mとしたもの。
斎藤朝信の時代は、今から450年ほど昔。残念ながら、朝信がこのケヤキを知ることはなかっただろうと思われる。 |
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