ページタイトル:旧代継宮跡の大クスノキ 当サイトのシンボル

画像:旧代継宮跡の大クスノキ_1


画像:旧代継宮跡の大クスノキ_2
名称 旧代継宮跡の大クスノキ
    (きゅうよつぎぐうあとのおおくすのき)
名称の典拠 天然記念物指定名称
樹種 クスノキ
樹高 29m(注1)
目通り幹囲 7m(注1)
推定樹齢 600〜700年(注1)
所在地の地名 熊本県熊本市中央区花畑町(注2)
 〃 3次メッシュコード 4930−15−56
 〃 緯度・経度 北緯32度48分02.1秒
           東経130度42分17.8秒
熊本市指定天然記念物(1968年8月13日指定)
撮影年月日 2011年8月6日

注1)熊本市公式ホームページによる
注2)2012年4月1日、政令指定都市への移行に伴い、住所表示が一部変更された





 熊本城の南、中心市街地の一角に花畑公園がある。
 かつてここには、応和元年(961)、国司として当地に赴任した紀師信(きのもろのぶ)が住吉大神を勧請した神社があった。宮城の4隅に木を植え、四木宮(よつぎぐう)と称したという。
 時代が下って、加藤清正が熊本城を築城。ここに自身の邸宅としての花畑邸を築くため、四木宮は白川の対岸に移された。(その後、平成元年(1989)、白川の改修に伴い、龍田3丁目の現在地に遷座)
 加藤氏に代わり、細川氏が城主になると、細川氏は、自ら尊敬する歌聖紀貫之(きのつらゆき)を合祀して、四木宮を厚く保護した。幼くして細川家を継いだ5代綱利(つなとし)は、自身の境遇に感ずるものがあったのか、四木宮の名を、音が同じ代継宮に改めさせた。
 一方、花畑邸の方は、細川家に代わっても藩主の邸宅として使われ続けた。
 明治の廃藩置県の結果、花畑邸があった場所は、軍隊の施設となった。(下図で、クスノキの左に見えるのは、ここに歩兵第23連隊があったことを記念する石碑である)
 都市の中心にあって、広さが確保できなくなったためか、その後、軍隊は他所に移り、昭和2年(1927)からは、熊本市が公園として管理するようになった。
 この土地にはそんな歴史がある。(くまもと緑・景観協働機構の老樹名木めぐりを参考にした)
 クスノキは四木宮に植えられた4本のうちの1本だという話も伝わっているようだが、どうなのだろうか。少なくとも、四木宮創建当初からのものではなさそうだ。
 昭和48年(1973)、クスノキが弱り、枯死の危険があったそうだ。人の踏圧で土が固まり、水を掛けても染み込まないほどになってしまったのが原因という。
 幸い、懸命の努力が実って、クスノキは息を吹き返した。嬉しいことだ。(このあたりの顛末も上記「老樹名木めぐり」に詳しい)
 
ボタン:熊本県の巨木リストに戻る ボタン:トップページに戻る