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画像:与野の大カヤ

画像:妙行寺本堂
 妙行寺本堂
名称 与野の大カヤ (よののおおかや)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 カヤ
樹高 21m(注2)
目通り幹囲 7.3m(注2)
推定樹齢 1000年(注3)
所在地の地名 埼玉県さいたま市中央区鈴谷4丁目(注4)
 
〃 3次メッシュコード 5339−65−40
 
〃 緯度・経度 北緯35度52分19.2秒
           東経139度37分37.5秒
国指定天然記念物(1932年7月25日指定)
撮影年月日 2004年9月4日

注1)さいたま市教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(U)」による
注3)現地の案内板による
注4)平成13年(2001)5月1日、浦和・大宮・与野の3市が合併して「さいたま市」となった。旧行政区は与野市





 JR埼京線南与野駅の北西600mほどの位置に立つ。日蓮宗東永山妙行寺(みょうぎょうじ)に所属するが、妙行寺山門とは、道を隔てて反対側。傍らの金比羅天宮の御神木である。
 主幹には、カヤの巨木独特の、円柱を束ねたような凹凸が刻まれている。長老らしい威厳と風格を感じさせる。
 案内板によれば、妙行寺は、古くは臨済宗の禅刹で、心浄寺と号した。応永15年(1408)、時の住職周如禅師が日英上人に帰依して、日蓮宗に改宗した。(日英上人は、京都での日蓮宗弾圧に屈しなかった「鍋かむり日親」上人の伯父にあたるという)
 これも案内板によれば、この大カヤは、その頃から既に、関東随一のカヤとして知られていたという。
 それが1000年の樹齢推定の根拠だろうと思われる。もし記述が本当ならば、貴族政治から民主政治に至るまでの、人間社会の変貌を、すべて眺めてきたことになる。
 大都会に生きる木ではあるが、十分な占有空間をあてがわれていることもあり、樹勢は良さそうだ。
 
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