ページタイトル:大和の大いちょう 当サイトのシンボルマーク

画像:大和の大いちょう_1


画像:大和の大いちょう_2
名称 大和の大いちょう (やまとのおおいちょう)
名称の典拠 現地の樹名板(注1)
樹種 イチョウ
樹高 25m(注2)
目通り幹囲 5.2m(注3)
推定樹齢 約100年(注4)
所在地の地名 愛知県豊川市豊津町(注5)
 〃 3次メッシュコード 5237−23−14
 〃 緯度・経度 北緯34度50分57.1秒
           東経137度25分45.5秒
天然記念物指定 なし
撮影年月日 2023年3月20日

注1)絵入りの大きな案内版。地元ではこの名前が定着している
注2)豊川市観光協会ウェブサイトによる
注3)このイチョウを教えて下さった浜松市在住のIさんによる計測値
注4)大正12年(1923)以降に植えられたことが分かっている
注5)2006年2月1日、豊川市に合併。旧行政区は宝飯郡一宮町





 JR飯田線三河一宮(みかわいちのみや)駅の東方約1.4km。市立大和保育園に隣接する広場に、大きく枝を広げた独立木のイチョウが立つ。広場の周囲は耕作地。
 地元では「大和の大いちょう」の名前で親しまれている。
 樹名の大和は、かつてここが大和村だったから。現在の豊津町と橋尾町を含むあたりがそうだったようだ。
 保育園が建つ場所には、その昔、大和尋常高等小学校があった。大正12年(1923)4月1日、小学校竣工記念として雌木のイチョウが植えられた。現在の保育園内に立つのがそのイチョウだ。その後、雄木も植えられ、それがこのイチョウである。
 多分、戦後になってからのことと思われるが、雄木のイチョウの近くに保育園が出来た。かつて保育園のイチョウは雄木の方だったのである。その後は、ご多分に漏れず子供の数が減って小学校が廃校になり、保育園は小学校の跡地に移転。現在、イチョウの周囲に建物がなくなった。
 以上は、豊川市が設置した案内板と、イチョウの近くで出会った博識な紳士からお聞きしたことを総合した内容である。
 この樹形について、地元では落雷によると伝えられているらしい。かつては主幹があったが落雷で失われ、回りの枝が伸びてこの姿になったというのである。
 左図は北側から撮った写真で、この角度だと、枝がバランス良く全方向に伸びているように見えるが、実は、南に伸びる枝より北に向かう枝の方が数が多い。普通は逆なのだが。
 以前、南側に建物があったか、背の高い木があったのかとお尋ねしてみると、昔、南に出ていた大きな枝が台風被害で折れたからと言われているとのこと。
 落雷にしろ、台風被害にしろ、それらはかなり昔のことだったのだろう。現在の姿にその痕跡を見つけることは出来なかった。
 姿の良い独立木なので、黄葉する姿はさぞ見事であろうと思われる。
 このあたりではもっとも遅く、見頃を迎えるのだそうである。
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