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画像:根尾谷淡墨桜

画像:根尾谷淡墨桜(幹と並ぶ)
名称 根尾谷淡墨桜 (ねおだにうすずみざくら)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 エドヒガン
樹高 17m(注2)
目通り幹囲 9.2m(注2)
推定樹齢 伝承1500年(注3)
所在地の地名 岐阜県本巣市根尾板所(いたしょ)今村
 〃 3次メッシュコード 5336−34−58
 
〃 緯度・経度 北緯35度37分56.0秒
           東経136度36分31.6秒
国指定天然記念物(1922年10月12日指定/1978年3月16日追加指定)
撮影年月日 2004年4月7日

注1)石造の立派なもの(設置者及び設置年月不詳)。なお国の正式な指定名称は「根尾谷淡墨ザクラ」とカタカナ
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 東海版」による
注3)現地の案内板による。幼時ここで育った継体天皇(在位507〜31)が皇位を継ぐために上洛される際、形見としてお手植えされた、という伝承と、奈良時代のはじめ、根尾佐京亮(さきょうのすけ)の祖先がこの地に住み着いた。その子孫が根尾氏代々の墓の目印として植えたという2つの伝承があるらしい





 今年は例年より開花がずいぶん早いと聞いて、少し早めに訪れた。花は七分咲き。淡いピンク色だった。
 このサクラは、最盛期を過ぎる頃から、やや淡い墨色を帯びるという。淡墨桜の名はそれに由来するもので、その時期に合わせたかったのだが、華やいだピンクの花と老木の対比もまた悪くはない。
 戦後まもなく、枯れそうになったことがある。死を見守る以外に術はないと思われたとき、岐阜の歯科医前田利行氏が若い個体の根を238本も根接ぎする大手術を施し、奇跡的に樹勢を回復することができた。彼は樹木医の先駆者であった。
 1500年という樹齢の是非はともかく、前田氏はじめ、淡墨桜を愛した当時の人々の熱意が、戦後50年以上を経て訪れる者たちにこの姿を見せてくれたと思うと、感慨を禁じ得ない。淡い花色に、生命を輝かせる良い摂理のようなものが見てとれるように思った。
 
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