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注1)1988年12月10日に伊勢崎市教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による
注3)この松は、当初、隣の韮塚村諏訪ノ原に生えていたのを、代官として連取村を治めていた飯島一覚が、享保2年(1717)に現在地に移植したことがわかっている。2010年現在、移植から293年を経ている。移植時の樹齢が不明なので、現在の樹齢も不明だが、300年を超えていることは確かだろう
連取町は、伊勢崎市西部の住宅地だ。そこに菅原神社があり、境内に「連取の松」と呼ばれる名松がある。大きな枝張りを誇るクロマツで、その樹形から「笠松」、または菅原神社が天神さん(菅原道真)を祀ることから「天神松」と呼ばれることもあるらしい。
「連取の松」の位置は、昭文社から出ている「県別マップル」にも記されている。神社の横には駐車場も完備され、訪問者には、ありがたい限りだ。
同様な樹形を持つマツでは、枝の外側から眺めるのが普通だ。それが、ここでは樹下に通路が設けられ、「笠」の内側から見ることが出来る。
あいにくの雨の中の訪問だった。日曜ではあったが、私たちのほかには誰もいない。雨に濡れた幹が黒々と光っていた。
拝殿のところに、パンフレットが置かれていた。伊勢崎市教育委員会がマツについて解説したリーフと、菅原神社の由緒等を記した手作りのリーフが針で留めてある。氏子の方々のご好意によるものだ。ご親切に感謝しつつ、私も1部頂戴した。
パンフレットによれば、既に江戸時代から有名なマツだったようで、文化5年(1808)、伊勢崎藩士鈴木松山宣周(しょうざんのぶちか)が「老之松」を描いた版画が残っている。(パンフレットにも写真が掲載されている)
現在の姿と見比べてみると、版画の当時は中央幹があって、形の良いドームを形作っていたようだ。今は、少し寂しい姿になってしまった。
版画には、「松樹 太サ八尺余 高壹丈余 枝二十五六間四方」とある。メートルに直せば、太さ2.4m余、高さ3m余、枝張り45〜47m四方にあたる。
現在、樹高と幹囲は当時よりも値が増えているが、枝張りは少し小さくなったようだ。
でも、最盛期と比べたのでは可哀想だ。現在でも十分にインパクトがある。
現代に於ける名松の1本と言ってさしつかえないのではあるまいか。 |
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