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名称 椿名神社の大ケヤキ
(つばきなじんじゃのおおけやき)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 ケヤキ
樹高 32m(注2)
目通り幹囲 6.6m(注2)
推定樹齢 400年以上(注3)
所在地の地名 群馬県高崎市倉渕町権田字広町(注4)
〃 3次メッシュコード 5438−56−22
〃 緯度・経度 北緯36度26分26.0秒
東経138度46分35.5秒
倉淵村指定天然記念物(1982年4月1日指定)(注4)
撮影年月日 2005年9月18日
注1)1996年3月に倉淵村教育委員会が設置
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 関東版(T)」による
注3)現地の案内板による
注4)2006年1月23日、高崎市に合併。旧行政区は群馬郡倉渕村
旧倉淵村役場から、国道406号を烏川に沿って2km強さかのぼる。下平集落を過ぎてすぐ、左手の水田中に、こんもり茂った社叢が見える。これが椿名神社だ。
古くは権田村の鎮守とされ、明治の初め頃には戸春名社と呼ばれていたという。
ところで、平凡社「群馬県の地名」によれば、「椿名」の名について、延喜式神名帳の一宮本「上野国神名帳」をめぐって、「椿名」か「榛名」かの論争があったらしい。享保8年版本には「椿名」と記され、九条家本には「榛名」とあったからである。
先述の「戸春名」は「とはるな」つまり「外榛名」の意味であろう。冷静にみて椿名は榛名の誤記と考えるのが普通だと思うが、戸春名をあえて椿名神社としたことに、どんな経緯があったのだろうか。
大ケヤキは社殿の後方に、ひっそりと立っている。
文禄年間(1592〜96)、当地に神社が遷座した頃から生きてきたと推測されている。
社名論争を眺めながら、微笑んでいたのかも知れない。 |
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