|
|||||
名称 豊岡のカツラ (とよおかのかつら) 名称の典拠 現地の案内板(注1) 樹種 カツラ 樹高 25m(注2) 目通り幹囲 11.0m(注2) 推定樹齢 伝承800年(注3) 所在地の地名 長野県長野市戸隠豊岡大中(注4) 〃 3次メッシュコード 5538−00−37 〃 緯度・経度 北緯36度42分09.7秒 東経138度05分10.6秒 長野県指定天然記念物(1962年2月12日指定) 撮影年月日 2001年11月10日(左写真) 2008年10月18日 注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 甲信越・北陸版」による 注3)八十二文化財団のホームページ「長野県の文化財」による。この値は後述の親鸞聖人伝承から算出した樹齢であろう 注4)2005年1月1日、長野市に編入合併。旧行政区は上水内郡戸隠村 旧戸隠村役場の南の細い道を西に向かうと、すぐに民家の庭に立つ大カツラが見えてくる。 道路から見ると、根元に説明の立て札があり、踏み跡が続いていたので、「無断でいいのかなぁ」と思いつつも、傍らまで入らせていただいた。 さまざまな角度から眺めながら、妻と感嘆の賛辞を語り合っていると、家の中から紙片を持った初老の男性が出て来られた。 「どうぞ」と差し出されたパンフレットには、『見真大師御霊場略縁起』『御霊場守護者定国48代孫』と書かれていた。民家と思ったのは親鸞聖人の霊跡守護所で、この方は、鬼女紅葉を退治した平維茂の家臣・河原太郎定国の48代の子孫だったのである。 鬼女退治後、時が経て、建暦2年(1212)のこと。越後流罪を解かれた親鸞聖人が常陸国(茨城県)に向かう途中、鬼女紅葉の遺跡を訪れ、ここに住んでいた浄喜坊の庵に立ち寄った。その際に、浄喜坊の妻が、女人往生の可否を問うた。すると聖人は、持っていた杖を地に挿し、もしこの杖が根づけば、往生まちがいなしと言って去った。それがこのカツラの木である。およそそんなことが書いてあった。 無断で入った失礼を詫び、カツラの見事な育ちぶりについて、さぞかし丹精されているのでしょう、と労をねぎらい、お話を伺えた礼を述べて帰ろうとしたら、後ろから呼び止められた。 そして、今度は是非とももうひと月早く、黄葉の頃に来てほしいと、庭先の深紅の寒菊を手折って持たせて下さった。 |
|||||